2014年2月11日火曜日

日本人民共和国

日本人民共和国旭日赤旗
 冷戦期の日本列島を支配し、数百万人の自国民を死に至らしめた共産主義政権。略称は「日共」。

 元化16年(未来元年)、元化天皇の極端な親米反共政策に反対する革新勢力(労働農民党・社会大衆党・旧軍部など)が、ロシア ソビエト共和国の支援を受けて反乱を起こし、東京を占領して成立した(日本革命)。当初は共産主義者だけでなく、社会民主主義者や国家社会主義者をも含めた、民主連合政府と呼ばれる反米社会主義連立政権であったが、イデオロギーの違いから内ゲバが発生し、最終的に「輝く未来」と称する極左政党が実権を掌握した。

 日共の軍隊は人民解放軍、警察は紅衛兵と呼ばれた。当初は平等主義の立場から、明確な国家元首を定めていなかったが、途中から滝山未来という謎の人物が指導者として祭り上げられるようになった。政権内には、軍部を抑える遠野衛ら改革派と、紅衛兵から支持を受ける樹下進ら白衣派といったグループがあり、末期には凄絶な権力闘争が行われた。

 全ての財産は人民の共有とされ、資本主義国家における人権は否定された。既存の宗教を禁止する一方で、人民の「理性」を崇拝する「国教」が存在した。圧政が特に厳しかった時期には、一般国民はあらゆる個性を表す事を禁止され、外出時には仮面着用を義務付けられた。原始時代への憧れから、貨幣の廃止が試みられた事すらある。また、例え体制に忠実に従っていたとしても、計画経済の大飢饉によって餓死する者も少なくなかった。

 未来30年(光復元年)の天災を機に、反体制派が決起して七月革命が勃発。首都を東京から宇都宮に移して抗戦するも壊滅、ここに日本人民共和国は滅亡した。滝山は東京陥落と共に消息を断ち、日本帝国政府に捕らわれた指導者らは厳刑に処されたが、共産主義の亡霊が完全に消え去ったわけではなかった。

 その後、日共関係者を始めとする共産主義者は以下のように「転職」した。
  1. 東京政府に降伏し、将来的な日共再建を企図する者。軍部・官僚に多い。
    遠野衛・結城天剣・葉山円明など。
  2. かつての紅衛兵がテロリストとなって政府に抵抗し、「日共残党」と呼ばれている。禍津日原に拠点を置く主流派は西宮堯彦に討伐され、現在は大牧実葉に従う。
    天河和茂など。
  3. 白衣派の一部が、陸奥地方に逃れて再起を図っているとの情報があるが、真相は謎。
    樹下進など。
  4. 共産主義と訣別し、日共を否定・批判する立場に転じた者。
    日基建・星川初など。
 「共産主義は国家の死滅を目指す」という建前から、日共に正式な国旗・国歌はなく、党のそれが代用されていた。事実上の国旗は、皮肉にも軍国主義の象徴だった旭日旗を赤旗に転用した物であり、日本が世界革命の中心であるというナショナリスティックな意識が窺える。国歌は内外情勢に応じてたびたび変更されており、大日本皇国の『君が代』や軍歌を左翼的にアレンジしたり、ヨーロッパの共産党歌を和訳転用したりしていた。

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