2015年10月19日月曜日

土居冬美

 聖徳元年(光復23年)3月31日、銚子追討戦でその姿を確認された女性。大学生前後の外見で、第一印象は常識的。土居姓を称しているが…。

 日本帝国東京政府から要注意人物として指名手配されていたらしく、星川共和国上杉橄欖もその動向を警戒していた。林鵬(仁木鳥月)に「偉大なる祖を蘇らせる為、貴女の血を貸して欲しい」と協力を求められ、房総半島に撤退中の吉野菫橘立花十三宮勇の軍閥「共和幕府」に紛れ込む。

 「復活儀礼」の時間を稼ぐべく、銚子市街地の撹乱作戦に従事し、連合軍がジェノサイドを犯しているとの風説を流布したり、実際に民間人の武装蜂起を煽動するなどした(戦闘員・非戦闘員の区別が困難になり、虐殺事件の発生確率が高まる)。当時、銚子には吉野政権との融和に腐心する清水財閥関係者が避難し、その警護に山形旅団が駐屯していたが、ただでさえ清水家の将来を憂うる意見が絶えない中で、林鵬・土居らの跳梁跋扈が追い打ちした結果、清水勢の一部が星川軍と衝突し、七宝院学園の生徒達が死傷する惨事まで発生した(君ヶ浜の悲劇)。

 しかし、林鵬・橘立花の背後にロシア工作員の陰影を感じ取った宇都宮宗房は、太祖の御霊が外国勢力に利用されるのを危惧し、八洲精士郎と共にあえて連合軍に参陣、最期の勝負に打って出た(当代の可能性と限界を知る宗房は百年の計で全てを考えており、林鵬の真意には共感するも時期尚早と判断したらしい)。十三宮勇も獅子身中の敵を察知し、やむなく土居は利根川河口川口町)の水産ポートセンターに退却した後、夫婦ヶ鼻(めどがはな)の決闘小田皐月に降魔された。その日の夜、吉野方と和睦した連合軍が何者かとの決戦に臨む様子が目撃されたほか、「武士の亡霊」を見たとの噂が相次いだ。

 橘立花はロシアを頼って脱出し、十三宮勇と林鵬は八洲精士郎に討たれ、その精士郎も終戦と同時に失踪した。宇都宮宗房は生還するも急病に襲われ、見舞いに訪れた泰邦清継に「この上、会津人に看取られて死ぬとは、黄泉で太祖殿に見せる顔がない。しかし、城井の名と血を護り抜ければ本望だ」と言い遺して世を去った。吉野菫は、新日本の統一と民主化を成し遂げたが、その後は多くを語らぬまま、歴史の表舞台から消えた。数少ない生き証人である星川結十三宮は、来たるべき時に全ての真実を公開したいと表明した(が、結は既に言い触らしている)。あの日、彼らが見た錯乱の武士、その魂が再び血を震わせる刻は訪れるのか…それはほかでもなく、我々人類の選択如何に懸かっている。

  • この記事は、八幡景綱氏が著作権を有する小説の登場人物「土居冬美」の設定を、十三宮顕が自作品の世界観に基づいて再構成した物です。

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