2015年11月5日木曜日

落合航


うみの
「嗚呼ブルーハワイ飲みたい」

 日本国民軍航空部隊将校、禍津日原駐屯軍基地司令官、「条約派」領袖。元来は海軍空戦隊パイロットで「ラズール」隊長、コールサインはサザンクロス(南十字星)。



南十字座を眺めた日々
 親の落合翔は大日本皇国海軍として太平洋戦争に出征したが、戦う目的を見出せず連合国に投降しラテン アメリカ(中南米)に収容された。戦後、日本人民共和国が樹立されたが、共産主義に断固反対していた翔は帰国せず、そのまま定住して亡命生活を送る事になった。航はいわゆる日系人として生まれ育ち、聖書や『銀河鉄道の夜』を熱心に愛読して神秘的価値観を養い、日本では見られない南天の星座を眺めて空に憧れ、一方で翔から軍人としての矜持も教育された。

「日本国民軍」入隊
 祖国日本を共産主義独裁政権から奪還して欲しいという翔の遺志に従い、アメリカ連邦が亡命日本人部隊として編成した日本国民軍に入隊した。主として海軍の訓練を受ける中で卓越した才能を開花させ、遂にニミッツ級航空母艦「カーティス ルメー」の艦載機パイロットに抜擢された。しかし、国民軍を指導する米国白人の中には反日的な者もおり、人種差別に悩まされる事もあった。それでも、日本を救国するためには西欧諸国との協調が不可欠と考え、生涯を通して親米英派の立場を取る。

コロネット作戦
 日共政府は元化天皇を人質に西側陣営を恫喝していたため、米国の対日武力侵攻計画は先送りされていた。しかし光復元年6月、日本列島への隕石衝突を機に、日本国民軍は米軍と共に東京攻略を目指して開戦を決行し、北太平洋にて日本人民解放軍(日共軍)との戦闘状態に突入。ルメーから戦闘機に搭乗して発艦した落合はラズール隊の編隊を組み、日共が対米戦争に備えて築城していた巨大海上兵器「イザナミ」要塞を制圧した後、本土上陸を阻止せんとする日共海軍と交戦した。対外戦争経験に乏しく、旧日本軍や東欧圏の艦船・戦闘機を使い回す日共軍は貧弱であったが、それでも「日本海軍」の誇りを胸に猛攻して来る彼らと戦う中で、落合は同じ日本人同士が殺し合う光景に葛藤し、一時的に精神を衰弱させてしまう。更に、自分の撃墜した敵機がルメーに「特攻」し、よりによって母艦を撃沈されるという失態を犯してしまい、米国の不興を買い、約束されていたはずの出世コースからも外れる事になった。

宇都宮決戦
 対艦戦では不覚を取った落合だが、空中警戒管制機(AWACS)「クリスタロス」や戦友達からの叱咤激励を受けて正気を取り戻し、その後は若手エースの本領を発揮して大いに活躍。ルメー同級空母「マーシャル」に合流した後、宇都宮に背水の陣を展開する日共軍との決戦に臨む。待ち受けていたのは、空軍の実権者とされる遠野衛司令官が自ら率いる、ミグ29「フルクラム」で編成されたエリート集団「ルベウス隊」であった。ラズール・ルベウス両隊は、敵味方が観戦し始めるほど高度な空戦を繰り広げ、どちらかの残弾・燃料が尽きるまで続くかと思われたが、年長者として自身の歴戦熟練を過信し驕った遠野に一瞬の隙が生じ、落合が発射した最後のミサイルに射抜かれた。ここに日本人民共和国は滅亡し、落合は救国のエースとなった。だが、勝者の栄光も長くは続かなかった。

禍津日原左遷
 7月7日、国民軍は日本帝国の建国を宣言したが、女帝たる雲母日女を元首に擁立した事に対して、男子継承の伝統を重んずる西宮堯彦親王ら右翼が反発。比較的リベラルな思想を持っていた落合も、君主制については近代西洋的「男女平等」理念ではなく、日本固有の慣習を優先すべきと考え、またルメー撃沈の件で米国からの信頼を失いかけていた事もあり、堯彦親王の派閥に接近する事になった。こうした動きに雲母日女は激怒し、西宮・落合らを隕石クレーター(後の禍津日原)に「流刑」した。落合はエースパイロットとしての地位と将来性を奪われ、クレーター復興庁の警備隊長として、禍津日原に彷徨う日共残党などの犯罪勢力を根絶やす「汚れ仕事」に従事させられた。しかし実際には、殺生を嫌う西宮長官の意向もあり、テロリストであっても利用価値や更生の余地がある者などをなるべく助命し、場合によっては味方に取り込むなどして西宮派(AB派)の勢力拡大を謀った。日共残党の首謀者である天河和茂とは因縁の仲。また、東京政府・軍部には西宮・落合寄りの人々が少なからず残っており、彼らを通して西宮の復権工作に尽力した。

太田騎士団との関係
 禍津日原には落合ら海軍空戦隊グループ(大艦巨砲主義の反米英派に対して、国際協調を重んじるため「条約派」などと呼ばれる)のほかに、反共パルチザン出身の太田愛(後の岩月愛)らも西宮派として駐屯していた。落合はただでさえ陸軍嫌いである上に、純潔倫理に厳格な一面があるため、服装が色々と不健全な太田には不快感を抱いていた。禍津日原で宴席が開かれた際には、遊女のように振る舞う彼女を平手打ちするなど激怒している。しかし、大好物であるブルーハワイ味のかち割りを自分のために用意してくれていた事に感激し、それ以降は比較的仲良くしている。

星川共和国との関係
 禍津日原以北の地域を実効支配する星川軍閥(日本民主共和国)に対しては「皇国陸軍の亡霊」として強い敵愾心を抱いているものの、公私の立場をわきまえ、東京や西宮が星川との宥和政策を採用している期間はそれに従う。但し、国境付近で星川側を威嚇・挑発するかのような軍事演習を行い、これが「先制攻撃」と見なされ埼京戦争の原因になった可能性はある。
「俺が作戦を指揮すれば、半日以内に大宮を陥落させられる。だが、星川初は前橋に新潟へと転進し、更には平壌やら北平(北京)やらに亡命して『日帝による残虐非道な侵略戦争』を国際社会に喧伝するだろう。東京の為政者や将軍諸氏は、そうした事態を想定しているのか?本気で星川を討ちたくば、四方の各県を直轄支配して出入りを完全に封鎖するか、さもなくば中共と国交を結ぶほかない。そのような作戦を指揮できるのは、この俺ただ一人のみであり(ry」
このように長々と語っているほか、「東京湾(房総県浦安市舞浜)から大宮を艦砲射撃せよ」と主張する艦隊派(大艦巨砲主義者)に「正気の沙汰ではない」と口論している。

十三宮勇との出会い
 光復18年、将来に備えて優秀な人材を密かに集めていた落合に、興味深い情報が届く。若さ不相応の天才的な戦闘能力を持った女性義勇兵が、東京下谷区上野付近で無差別テロを起していた日共残党を、たった一人で皆殺しにするほどの勢いで鎮圧しているという。しかも、西宮堯彦と人脈のある八洲精士郎が彼女を保護した事も明らかになった。西宮と落合は、異端キリシタン一族の末裔と伝わるこの女性、十三宮勇を自軍に取り込む事を決定。職務上、戦闘機に乗って出撃する機会が激減していた落合は、ラズール隊を彼女に与え、勇をリーダーとする「サフィルス隊」に改組した。その後、サフィルス隊は主として極秘任務など表沙汰にしたくない作戦で活躍する事になった。一方で十三宮勇は、落合付副官の橘立花と共に、愚かな戦争を終わらせるために自分達「異常者」が果たすべき使命を模索し始めていた…。

総督府軍司令官
 光復19年、治安回復などの実績によりクレーター復興庁は禍津日原総督府に昇格し、特別行政区として高度な自治権を正式に承認された。警備隊も禍津日原駐屯軍に改組され、有事には総督命令で独自に軍事行動できる権限を得、落合はその基地司令官に就任した。皇帝から一軍を任されたという「統帥権」を盾に軍拡を進め、橘立花・十三宮勇ら後輩を育成する一方で、裏では特務機関として星川だけでなく東京に対する諜報活動も行った。その結果、東京政府・軍部には日共から偽装転向した共産主義者の巨大なネットワークが張り巡らされており、その触手は宮中すら犯し始めているという実態が明らかになった。禍津日原駐屯軍は、表向きには星川軍との戦闘に備えて配備されているが、真の目的は、いずれ勃発するであろう帝都でのクーデターに対処する事であった。なお、駐屯軍基地の建築資材には空母「カーティス ルメー」の残骸が一部利用されており、当時の後悔と教訓を忘れないよう念押しされている。また、内陸なのに「鎮守府」を自称している。

遠野衛との再会
 宇都宮で落合に撃墜された遠野衛は実は生き延びており、雲母日女の側近として宮中に入り込み、来たるべき日共再建の時に向けて準備を進めていた。光復21年、遠野は視察の名目で禍津日原に立ち寄り、かつて自分を撃ち落とした落合らと握手を交わした。この妖麗な美女軍人が20年前の宿敵である事に、落合はまだ気付いていないものの、ただ彼女の自分に対する不穏な微笑に、背筋を震わせる何かを感じた。

会津征伐
 光復20年、日本帝国は星川軍閥と防共協定を締結し、事実上の同盟体制になっていた。一方で泰邦清継(旧陸軍皇道派の後継者、つまり落合の宿敵)率いる会津軍閥との関係が悪化。翌21年、なおも東京への帰順を拒み続ける会津の武力征討が実行に移され、大国の後ろ盾を持たない会津軍は次第に劣勢を強いられた。落合も禍津日原から航空支援の増援軍を送っていたが、無条件降伏を迫る東京政府の強硬姿勢では闇雲に犠牲者を増やし、また事変拡大に伴う帝都公安情勢の不安定化を招く恐れがあるため、西宮堯彦・葉山円明らと共に和平工作を行い、会津側の面目を尊重する形での停戦を実現させた。陸軍閥で国家社会主義的な泰邦とは、この後の八月事変でも対立するなど犬猿の仲だが、不器用で腹黒さが感じられない辺りは瓜二つであり、また西宮を奉戴して天下を取る野望があったと言われる点でもよく似ている。

八月事変
 西宮・落合グループは遂に、葉山円明ら隠れ共産主義者によるクーデター計画を傍受し、遠野衛の正体も突き止めた。一刻を争う事態であり、東京政府に許可を求める暇などないと判断した落合は、葉山・遠野らの身柄を拘束する極秘作戦を発令するが、時すでに遅く、政府・軍部は葉山に乗っ取られてしまった。葉山政権は総督府を殲滅するため国民軍を動員し、対する西宮は敵の敵である星川軍と同盟し、西宮・星川連合軍と東京政府軍は禍津日原にて激突した。落合は苦手な陸戦を指揮しながら、自分達が共産主義者に利用されている事を知らない敵将兵に対し、クーデターの真相と原隊復帰を勧告する放送やビラ撒きを行った。また、日頃から目の敵にしている東京陸軍への憎悪を込めて、敵戦車にリモート爆弾を設置して破壊するなど地道な嫌がらせで戦果を挙げる。だがその一方で、漁夫の利を狙う星川主導によるクーデター鎮圧、即ち天下を星川に奪われる事態を回避するため、場合によっては星川初の暗殺も辞さない謀議を提案していたという説もある。

昨日の敵よ明日の味方となれ
 八月事変の収束に際し、葉山は自決の道を選んだが、投降した遠野や天河和茂は裁判と司法取引を切り抜けてしぶとく生き延び(政府・総督府への協力を条件に死刑を回避)、禍津日原で終身刑に服する事になった。落合は古今の怨敵と対等なテーブルでかち割り(遠野は苺味、天河はラムネ味、落合は無論ブルーハワイ味)を飲み交わし、国家論・戦争論・歴史観などについて大いに語り合った。彼ら共産主義者の言い分、思想や行動をそのまま是とするわけにはいかないが、彼らのような恐るべき人間を生み出す社会をどうにかしなければならないのは確かだった。折しも「平和と民主主義」を掲げる吉野菫が帝国新首相に就任し、クーデター鎮圧に貢献した橘立花や十三宮勇ら後輩グループ(彼らは「青鳥閥」と呼ばれ始めていた)も出世の足掛かりを得ていた。そろそろ次世代に託して退役しようかとも考えたが、天主はそれを御許しにならなかったようである。

聖徳新政と海軍大臣
 光復23年3月、陸奥の地震津波災害に乗じた樹下進の大反乱が快進撃を続ける中、吉野首相ら政府首脳部の対応は迷走を続け、遂には軍部が皇帝に直接、作戦指揮を仰ぐような事態になった。政治的に中立たるべき帝室を戦時体制に巻き込もうとする動きに雲母日女は不本意を示し、西宮堯彦への譲位を決断。風雲急を告げる情勢下、大急ぎで即位した堯彦皇帝は、豪腕なリーダーシップで擬似独裁体制を敷き、陸軍省(参謀本部)や海軍省(軍令部)といった明治憲法時代の政治機構を一時的に復活させ、落合は秒速で昇進させられ海軍大臣に任命された(陸軍大臣は泰邦清継)。しかし、東京が陥落寸前にまで追い詰められ、指揮系統が寸断された戦況においては、権力者が安全な場所から命令を発したところで何の役にも立たず、結局は泰邦・落合だけでなく皇帝までもが最前線に出陣する羽目になった。落合は仲の悪い艦隊派や陸軍とも協力して反乱軍を叩き、自身も戦闘機を操って戦う。エースパイロットの実力は更に盛れる事あれども、未だ衰える事を知らず。

一世一代の大勝負「禍津日原独立戦争」
 樹下との決戦には勝利したが、その過程で星川初が討死した事により、星川軍閥は内乱と衰亡への道を歩み始めた。橘立花・十三宮勇ら軍部青鳥閥はこれを奇貨として星川を完全に攻め滅ぼそうと目論見、皇帝・首相の反対を押し切って全面戦争の開戦を強行した。大軍勢が川口・浦和・大宮方面に動員され、西宮の後継として禍津日原総督になった落合も出撃を要請された。しかし、日頃は星川嫌いで知られる落合といえども、最優先すべきは皇帝と国家への忠誠である。例え星川を討つという目的が正しくても、そのために帝や法をないがしろにするなど言語道断であり、しかもその首謀者が、よりによって自分の後輩達であるとなれば、そのような暴挙を全力で阻止するのが己が使命だと考えた。八月事変の際にも役立った情報網により、この戦争の裏に青鳥閥による無血クーデターがある事を察知した航は、翔から受け継ぎながらも使い時をわきまえ心に伏せていた「特攻魂」を覚醒し、遺書を携え第三勢力として独自行動を決意。駐屯軍(この時には泰邦清継も総督府に所属)のほかに天河和茂・遠野衛ら日共受刑囚をも従えて禍津日原から青鳥閥を一掃し制圧、スイス並の武装中立地帯を形成した。更にAWACS「クリスタロス」やラズール隊員と謀り、大宮爆撃のため禍津日原上空を通過する航空部隊を撃墜するなど、決死の覚悟で「皇軍相撃」を断行。東京・星川双方からの侵攻に備えて守りを固め、遠野は「この無謀さ、それでこそ我が宿敵」と余裕だったが、長期戦になれば勝ち目はないため、東京内の左右両翼勢力を煽動して吉野政権倒閣運動を激化させ、皇帝が脱出する時間を稼いだ。

官軍復帰
 青鳥閥の幽閉下から救出された皇帝は、今次戦争が勅許なき青鳥閥の不法開戦たる事を暴露したため、政府軍に抗戦していた落合は一転して「官軍」となり、青鳥閥が吉野を担いで房総半島に逃れると、彼らを追討する埼京連合軍の司令官として再び軍部に返り咲いた。この時の落合は、基督教的騎士道を重んずる普段の態度とはやや異なり、自分の後輩でありながら畏れ多くも皇軍を私物化した青鳥閥や、我が身惜しさに「平和と民主主義」のマニフェストを裏切った吉野首相、そして結果的に彼らへの協力を余儀なくされていた清水財閥ら「賊軍」への強い怒りに突き動かされており、市街戦に伴う多大な犠牲を深慮せず、吉野軍を総攻撃して銚子まで追い詰め、容赦なく包囲殲滅する覚悟であったと言われる。しかし、星川軍の一部隊が清水家の民間人を殺害するという不祥事を起したのを機に和平論が高まり、停戦を迎える事になった。十三宮勇は戦死、吉野は東京政府に帰順、一方で橘立花は逃げ延びた。銚子には復興や慰霊のため多くの教会関係者が訪れ、亡き勇の双子姉たる十三宮聖と語り合った。また、「中浦アガタ」を称する修道女と共に、この決戦で最も活躍しながら失踪した八洲精士郎を顕彰した。彼女は一見、泰平の世が訪れる事を喜ぶような顔をしていたが、その瞳は髑髏のように暗く冷たかった…。

橘立花・中浦アガタとの対決(最終章「中二病だから恋ができない!」)
 落合の副官を務めた事もある橘立花だが、その本性は「世界最終戦争」を引き起す事で「ただ青空だけが広がる恒久平和の世界」の創造を夢見る急進的無政府主義者にして、「無益な争いをやめられない人類への復讐」とやらを誓う異形の存在(重症の中二病患者)であった。そして中浦アガタは、いかなる世界においても、廃墟の彼方にしか未来を見出せない破滅の聖女である。長きに及んだ乱世が収束に向かう中、橘は中浦らと共にロシア大国主義勢力に接近し、既存のイデオロギー対立を超克した新勢力「箱館コミューン」を率いて「旧人類・旧日本・旧世界」に宣戦布告。対して、皇帝・吉野・星川の連合政府がこれに立ち向かい、その軍勢にはもちろん、落合航と遠野衛の姿があった。激戦の末、元号が「聖徳」から「共和」に変わった1月1日元旦夜明け、ようやく一つの時代が終わった。

空に翔け海を航る
 もとより、これで全てが解決したわけではない。東京政府と星川軍閥は統一を果たし、吉野を臨時首相とする「日本連邦」が開闢されたが、「偉大なる星川家」に仕えて来た星川人民にとって、「枕営業の吉野屋」を主君として忠誠を誓うのはやってらんねぇ話であるし、あるいは吉野亡き後、再び天下を大乱に巻き込まんと謀る者が現れるかも知れない。だが、さすがにそろそろ潮時だ。「海軍良識派」という美名のもとで、好きなように生き、そして戦った。あとは若者達を信じるとしよう。日本連邦の成立に伴い、禍津日原特別行政区は一般的な地方自治体(市区町村)に移行する事になり、役目を終えた総督府は解消し、その建物は役所や議会に改装されるという。退役した落合は、記憶喪失により放浪していた中浦アガタとの再会などを経て、羽田国際空港(東京市蒲田区)に転勤し民間航空を担った。遠野衛や天河和茂は歴史の語り部となり、日共の真実を後世に伝え継いだ。今や天上には、英雄を必要としない平和な青空が広がっている。そして西宮堯彦は、この泰平の世が末永く護持される事を神仏に祈り続けている。残念ながら南十字星は緯度的に見えないが、こういう空も悪くはないだろう。自分だけではない。生意気だが優秀な副官だった橘立花も、一匹狼に難儀させられた十三宮勇も、それに八洲とかいう変人一族の若き御曹司や、あの怪シスター中浦も、そして…先立った大勢の部下達も皆、きっとこんな空が見られる世界を望んでいたのだろうと、今はただそう信じたい。 だから、俺は…落合航は、これからも天空を翔け続ける。

生き様
 ある有名な傭兵の言葉によれば、エースは「強さを求める奴、プライドに生きる奴、戦況を読める奴」の三つに分けられるらしい。落合は間違いなく矜持に全てを捧げる軍人であった。自分の手柄よりも仲間を助ける事に命を懸け、反撃能力を失った手負いの敵は見逃すなど、宗教的信条と行動が一致していた。一方で戦績は伸び悩み、西宮堯彦の御慈悲で昇進を果たすものの、階級としては中佐止まりの期間が長かったようである。とにもかくにも敵味方から「誇り高き戦友」と肯定的に評価される事が多い落合だが、他方で鷹司家と共にAB派特務機関の実権者という一面があった点も見落としてはならない。即ち、共産主義者など「国体護持を脅かす人物」と見なした相手を独断で暗殺させていた可能性があり、それが事実であれば、従来の純粋無垢な落合像は見直しを迫られるであろう。
「後輩達に警告しておく。しょせん俺達は国家という暴力装置の手先に過ぎない事を決して忘れるな。戦場に己が理想を持ち込み、『戦場を知らない政治家ども』にいちいち口答えするような偽英雄になってはならない。フィクションの登場人物ならばいざ知らず、実際にそんな生き方をすれば、『英雄』らしく早死にするか、現状に憤慨してクーデターに走るか、あるいは不毛地帯に左遷されて老け逝くのが落ちである。そうなってしまった俺自身に絶望した

外交
 上記のように敵軍に対しても敬意を忘れないなど、寛容な性格で知られる(この辺りは岩月愛に似ている)落合だが、傭兵や共産主義者のような「護るべき祖国を持たない流浪の民」を嫌い、志願兵を中心とするエリート常備軍を過信していた。が、その常備軍がしばしば暴発したりクーデター勢力に乗っ取られたりするため、結局は独自の軍閥を形成し、遂には遠野衛・天河和茂ら日共出身者を頼るなど、言行が一致していない。なお、西宮・落合指揮下の軍勢には高確率で八洲精士郎がいるほか、遅くとも銚子戦の段階では、その対処に散々手を焼かされた宇都宮(城井)宗房までもが味方になっており、八洲家と何らかの取引をしていた可能性はあり得る。星川初・泰邦清継ら陸軍閥に対しても、嫌い嫌いと言いながら実際は共闘する事が多かった。

戦闘機
 海軍出身のため、空母から出撃できる艦載機に乗り慣れており、特にF14「トムキャット」は生涯の伴侶とでも言うべき長い付き合いの愛機。落合自身の手で性能を新型機並みに上昇させたり、必要に応じて対地攻撃機に改造するなどの工夫を重ねており、米国での量産が終了してもしぶとく現役である。複数の敵機を同時にロックオン・攻撃できる高機能対空ミサイル搭載。「人体と機体、どっちが『本体』なのか分からない」と評されるほど落合とトム猫は一体化しており、空戦だけでなく、地上でも自家用車代わりに「運転」して道路を疾走しており、呆れ果てたAWACS「クリスタロス」の策略により「路肩着陸」した機体をレッカー移動された前科がある。陸軍嫌いで陸軍の戦車になんか死んでも乗りたくないので、陸戦でもトム猫を戦車代わりに操縦して頑張る。

変態編隊
 落合率いるラズール隊には如何せん20年以上の歴史があり、構成員の増減や交代がしばしば行われているが、一例として有名なメンバーで編隊を組むとこうなる。「ラズール」は「青色」のラテン語で、隊員のコールサインは芸術・童話にまつわる名前が多い。
  1. サザンクロス(落合航)F-14D
  2. ラインハート(橘立花)EA-18G
  3. メーテルリンク(十三宮勇)F-35C
  4. ヘンゼル(複数いる「中の人」がコールサインを襲名)F-14B→F-35C
  5. グレーテル(同上)F-14A→F-35C
    空中警戒管制機「クリスタロス」E-767
ラズール隊はサフィルス隊に改組され、機体もトムキャットからFA18「ホーネット」やF35「ライトニング」などに変更されたが、落合本人は死んでもトム猫。また、禍津日原は内陸なのに空母艦載機しか配備されていないが、その理由はAWACS「クリスタロス」曰く「落合如きに貸してやる空中給油機などない!遠出したかったら、せいぜい土下座して空母にでも着艦させて貰いなwww…と、日米両国の空軍高官が言っていたわよ」との事。なお、編隊を構成する機体が偶数か奇数かは、ベテランの落合や十三宮勇にとっては大して重要でなく、どちらでも飛行に支障はない。後に橘・勇ら青鳥閥が無血クーデターを起すと、これに反対するサフィルス隊員は落合指揮下に戻り、再びラズール隊を称した。

歩兵装備
 海軍にだって地上戦をしなきゃいけない部隊(陸戦隊・海兵隊など)があるし、空戦隊だって機体が撃墜されて地上に脱出したら陸路で生還しなきゃいけない。しかし、陸軍嫌いで陸軍っぽい装備なんか死んでも着たくないので、陸軍の空軍化航空技術の軽薄短小化を試みた。その結果、画像のようになった。即ち、高性能猫耳で通信やレーダーなどの情報を送受信し、鞄からミサイルを同時発射し、必要に応じて自身の人体に可変翼を装着して飛ぶのである。これこそが、まさしく21世紀の戦争にほかならない。なお期待しないで頂きたいが、射撃は普通に得意というか凄腕であり、短距離で撃っても命中しないとかそんな設定はない、あるわけがない!当たればどうという事はない!!

歴史観
 軍人がイデオロギーに固執してはならない事は本人も自覚しているつもりだが、極めて反共的な思想を持っており、どちらかと言えば右派、親米liberalな保守主義者に分類される。一般的な右翼と同じく、明治革命以来の近代史に誇りを抱いているが、太平洋戦争については「陸軍と共産主義者が引き起した、国際法違反にして祖国亡滅の完全に誤った戦争」と捉え、日本は古今を問わず米英との協調外交を死守すべきだと考えている。このため、西宮堯彦が東京九段坂招魂神社(戦没者を「英霊」として神格化する教義を持つ)に公式参拝せんとした際には、保守派でありながら慎重論を諌言した。その出自ゆえ、いわゆる「海軍善玉論」に近く、基地の自室に井上成美米内光政山本五十六などの肖像画を飾っている。

趣味
 かち割り(特にブルーハワイ味)を補給しなければ死んでしまう、これが最重要事項。そのほか禍津日原赴任中は、学生や地域住民を交えて紙飛行機やプラモデルなどの工作企画を行ったり、飛行訓練用シミュレーションを簡略化してアーケード風のシューティングゲーム(落合や十三宮勇のハイスコアが記録されており、星川結はこれを粉砕すべくコイン代で星川家の財政を傾けた)を公開するなど、航空講師として一般市民とも仲が良かった。但し、青少年の間で「美少女が戦車を使ったスポーツに戯れる『軽い小説』」とやらが流行した際には、「兵器は物を壊し、人を殺すためにある。玩具ではない!」と不快感を示している(単に戦車嫌いなだけだろ)。また、退役に前後して「西暦2015年には『空飛ぶ自動車』が実現しているタイムスリップ映画」に触発され、仕事の合間に武蔵野市の廃墟ビル屋上を購入ないし借用して実験飛行場を設置し、短距離で発進できる空母のカタパルト技術を民間に普及させる事で「一家に一台、航空機」の交通革命を実現せんと試みた。将来的には独立起業も企んでいるらしい。同じ頃、ビル周辺で橘立花に酷似した大学生らしき人物が目撃されている。その学生は、軍を辞めても相変わらず夢を追い求め続ける落合の姿に自身を重ね合わせ、「いつまで経ってもボクらは『中二病』だね、司令官」と笑いながら何処かに消えた。雲一つない快晴の天下、東京はいつにも増して賑わっている。

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