2015年1月2日金曜日

樹下進

―我、常世の王なり―

 元凶にして、終わり。狂った時代との最後の戦い、訣別の男。

20世紀の落とし子
 戦争と革命の20世紀は、人類にとって大いなる過ちの時代であった。歴史的には二度に亘る世界大戦の勃発、政治的には共産主義国家社会主義の台頭、技術的には核兵器の開発など、後世から愚行として非難される事を列挙すれば枚挙に暇がない。その全てを体現したと評しても過言ではない樹下進、彼が地球上にその姿を現すのは、遅くとも戦間期の世界においてである。一説によれば、当初はロシア ソビエト共和国ドイツ第三帝国の二重スパイとしてモスクワベルリン間を行き来していたようだが、協力関係にあったドイツ労働者党左派が粛清されるとロシアに退避し、共産主義者として国際テロ組織コミンテルンに専従した。その後、志を同じくする軍人の遠野衛と共に満洲に移り、日本を含む極東アジアでのプロレタリア革命を準備した。一方で、本業は進化論を中心とする人類学者であり、人体実験にも手を染めていたらしい。特に、「神の存在を真に否定するためには、ヒトが神を超越した存在になる必要がある」との考えから、ヒトがヒトを創造し、あわよくば「不老不死」を本気で実現しようと試みた。そして、それは部分的にではあるが成功したらしく、樹下と遠野は自身の老化を大幅に遅らせる事ができたという。

日本人民共和国
 ロシアと共謀して大日本皇国を第二次大戦に引きずり込み、ロシア軍を満洲・北朝鮮樺太千島北海道に侵攻させ、更に敗戦革命によって日本全土の共産化を画策。未来元年(元化16年)の日本革命で遂に日本人民共和国が成立し、樹下の所属する極左政党「輝く未来」が独裁権力を握った。人民解放軍司令官となった遠野に対し、樹下は主として内政を担当し、商品生産などの社会的活動を政府が管理する計画経済の策定に当たった。しかし樹下の「計画」は、余剰生産物を貧困層に分配するためと称して、実際には人民を意図的に餓死させる内容であった。また、中華ソビエト共和国の手口に学んで紅衛兵と呼ばれる青少年主体の翼賛・治安部隊を編成し、反対派を徹底的に弾圧して党への忠誠を競わせる「自由無き競争社会」を設計した。こうした政策は、進化論の生存競争説を人間社会に適用する社会進化論に基づいているが、同じ「弱肉強食」でも本来の自然淘汰や市場経済とは異なり、それが人為的に統制されたシステムであるという点に留意しなければならない。そうしないと、「資本主義も共産主義も同根の産物」といった陳腐な俗論に惑わされる恐れがあると十三宮顕は指摘している。いずれにせよ、樹下の所業が正気の沙汰でないという事は多くの論者が一致する見解であるが、意外にも彼自身は私腹を肥やさず、むしろ党幹部の怠慢を糾弾するなど生真面目な人柄で知られ、あくまで(ヒトが死ぬほど)壮大な社会実験を粛々と行う事に意識を傾けていた。

白衣派の闇
 これらに加え、戦前から続けていた「人類工学」の研究も着々と進め、クローン技術による人造人間の「創造」に着手。こうして生まれた者の一人が、日共主席に祭り上げられた滝山未来にほかならない。このように樹下を中心とする日共左派は、イデオロギーだけでなく理系方面にも造詣が深く、優生学に代表されるナチズム的傾向を持つという特徴があり、彼らのグループは「白衣派」とか「科学者たち」などと呼ばれた。しかし、利害が一致する国家社会主義(人種主義)勢力と取引をする事はあっても、樹下自身がナチストに転向する事は遂になかった。なぜならば、その理由はただ一つ、樹下がほかならぬ有色人種であり、ヨーロッパ白人からは差別される側の立場だったからである。「未開のアジア民族如きに革命ができるのか」という周囲の嘲笑は、樹下をして祖国日本での革命に没頭させる事になった。そして彼は、滝山を含めなるべく日本人の遺伝子で実験する事にこだわった。その意味で、樹下も結局はアジア主義(反白人ナショナリズム)から脱却できていなかったと評する事もできよう。

小惑星
 未来30年メシドール(光復元年6月)、小惑星が地球に接近し放置すれば衝突する事態となった。良くも悪くも「科学者」である樹下は、46億年の地球史を鑑みれば小惑星衝突などいつ発生しても不思議ではないと早くから想定しており、北太平洋に建造中の新兵器「イザナミ」を使ってこれを迎撃した。しかし、分裂した隕石が予想外の軌道を取ったため日本列島への落下を回避できず、これを機に日共は崩壊に向かう。混乱の中、樹下自身も権力闘争で敵対関係となっていた遠野衛から襲撃を受け、紅衛兵の堺歩(さかいすすむ)を始め多くの仲間達を身代わりにして逃げ延びた。テルミドール(7月)には反体制派と米帝によって日本帝国が建国され、日共は滅亡した。

仮面
 人道犯罪者として指名手配された樹下は、東北地方の盛岡陸奥方面に逃れて日共臨時政府を維持したが、他方で自身に関するあらゆる情報を改竄・捏造して見事に正体を隠し、単なる人類学者に偽装して公然と東京で活動する事もできた。東京帝国大学など各地の学校に勤めて理科教育普及に尽力し、温厚な性格と解り易い授業で好評を得た。また、「超越的な存在を信じようとする傾向がヒトの脳にプログラムされている以上、それを妨害する必要はない」という立場から宗教に対しても尊重する態度を取っており、進化論に否定的な教会勢力と敵対しないようにしていた。

跳梁跋扈
 こうして善人を装う一方で、ネオナチのリッツマン(ブブノワ)やラテン人マリカ(ルーク)など外国人の協力者を得て、来たるべき再起のため密かに準備を進めていた。光復21年には葉山円明を煽動して八月事変を起させたが、樹下自身は葉山を見捨てて参戦せず、帝国の弱体化と自勢力の温存を図った。

最終決戦
 大牧実葉から滝山未来の遺伝子を手に入れる事に成功し、かねて計画していたクローン軍団を用いた反乱を決行する時が訪れた。折しも、日本列島は光復23年(聖徳元年)の陸奥地震津波(東北大震災)で大混乱に陥っており、また戦闘機などを密輸していたロシア急進派も、樹下の進軍とタイミングを合わせて対日侵攻を開始する手筈であった。滝山を筆頭に突如として「復活」した日共軍は快進撃を続け、星川初岩月愛ら歴戦の猛者を次々と撃破し、連合軍を後一歩まで追い詰めた。だが、新日共軍はもはや樹下の「私有財産」と化しており、クローン達をチェスの駒のように使い捨て、新世界の「キング」(プロレタリア独裁の指導機関)であるかの如き振る舞いは、遠野衛を始めとする旧日共軍の多くを敵に回してしまった。しかも、肝心のロシア軍がいつまで経っても増援を送らず、蝦夷島(北海道)からの補給線を維持できなくなった。更に「世界同時革命」計画が準備不足により不完全な結果となる中、国連軍に加え国際警察までもが樹下討伐のため日本に出兵。作戦指揮に当たった泰邦明子は、樹下の「チェス戦術」に対抗して、あらゆる人材・戦力を有効に利用する「将棋兵法」で巻き返しに出た。こうした計算ミスの重なりが致命傷となり、無敵と思われた新日共軍は劣勢に転じ、遂に樹下自身も遠野との再戦に敗れた。だが樹下にとって、これはむしろ喜ばしい「実験結果」であった。追い詰められた人間達が発揮する狂気染みた底力こそ、真に世界を変革する力であり、その過程で自身を超越する者が現れるのは本望だった。最期には、クローン技術の研究成果を「人類の進化」に役立てるよう、門下の間宮歩らに遺言した。

ロシアとの関係
 もともと樹下はコミンテルン出身の親露派であるが、両者の協力関係はソビエト崩壊後も続いていたようである。ロシア共和国の中でも、反日的な大国主義者が多いとされる札幌総督府(浦塩ミハエル)と頻繁に取引し、Suシリーズ戦闘機を密輸するなどしていた。しかしミハエル達は、大ロシアに依存しなければ何もできない、黄色人種で日本人の樹下を本心では蔑んでおり、彼を名前ではなく「731」という工作員コードで呼び、支援の空約束をした上で見殺しにした。紅衛兵やクローン達を捨て駒のように扱っていた樹下自身もまた、結局はロシア急進派の捨て駒に過ぎなかったのである。ロシア側が次に目を着けたのは、この戦いで樹下の軍勢を破った者達であった…。

影響
 樹下の死後、共産主義革命運動は急速に衰退し、合法路線や社会民主主義に転向する者が相次いだ。対照的に、樹下と戦う中で「人間の愚かさ」に絶望した十三宮勇橘立花中浦アガタなどの反共主義者は、これを機にむしろ急進的な思想・行動に傾き始め、再び天下に大乱をもたらす事となる。学術的には、樹下の正体が明らかになった事で日共時代の研究が大幅に進展したほか、彼の遺産を応用する事で再生医療技術が実用化に向かい、また科学と倫理を巡る論争(科学的には正しいはずの進化論を、なぜ人間社会に適応するのは「誤り」なのか?)が盛り上がった。樹下は死してなお、「人類の進化」に貢献し続けているのかも知れない。

「来たるべき次の地質時代において、我ら自身が神となり、国家となる」

「今日は良き日だ。絶好の実験日和だ」
―前方の大軍を目の前にして―

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