2014年12月19日金曜日

扇谷上杉橄欖

紅蓮つづり
一君万民
―贖いは血塗られた手で―

 日本民主共和国政務長官。星川初の最側近であり、官僚グループを率いて軍閥行政に絶大な影響力を持つ「黒衣の宰相」。日本国教会司教でもある。本名は「扇谷定子(おうぎがやつ さだこ)」と伝わり、キリシタン法号「アイリス」、また中国風の戒名として「喜多院橄欖大姉」などとも称す。



谷定子
 日本人民共和国埼玉県河越コミューン出身。少女時代は紅衛兵(武装警察)として不穏分子の摘発に従事し、後に敵となる葉山円明の先輩に当たる。その手腕を評価され、内務人民委員部に抜擢される。親友である星川初の立身出世を強力に支え、彼女を阻む者達をあらゆる手段で粛清した。ただでさえ残虐な葉山や樹下進からも怖れられるほど凶暴な性格で知られ、キリシタンなどの反体制派を大虐殺する事に快楽を感じ、日々のストレスを発散していた。

「上杉アイリス」聖誕
 星川が大宮コミューンに転封すると、扇谷もこの地域の治安維持を担当し、県内で布教活動を行なっていた謎の修道女(須崎優和)と戦い、更に大宮寿能城址遺跡に潜伏していた隠れキリシタンを皆殺しに行く。ところが、信徒代表の潮田フローラから折伏を受け回心し、生き延びた信徒達を見逃すだけでなく、遂には自らも入信を決意する展開になってしまった。そして、潮田から「虹(の女神)」を意味するギリシャ語「アイリス(イリス)」をキリシタン名として授けられ、また迫害者である自分に受洗の証としてオリーブ油を快く分けてくれた事への感謝から、漢字では「橄欖」(オリーブの別称)と号した。
  • イリスを語源とする元素に「イリジウム」という金属があり、地球外天体に多く含まれている。例えば、小惑星衝突によって恐竜やアンモナイトなどが大量絶滅した中生代白亜紀末期(6500万年前)の地層からイリジウムが検出されている。
  • そして奇妙な事に、扇谷定子がこの法号を得た後、世界は再び大隕石を迎える。
この一件を機に性格が急激に改善し、言葉遣いもやたら丁寧になって星川や喜多条誠ら仲間達を驚嘆させたが、代わりに悪化した毒舌癖にかつての面影が残っている。いずれにせよ、結果として埼玉のキリシタン勢力を味方に取り込む事に成功したアイリスは、いずれ星川の力で悪魔の日共政府を滅ぼし、日本列島に「神の国」を築くため潮田と共に計画を進めた。表向きは宗教弾圧の芝居をしながら、 実は彼女自身が隠れキリシタンとして信徒の保護に努めた。

審判の刻、来たる
 光復元年(未来30年)、「石の魔女」が地球を襲う夢を見、これを天変地異の知らせと確信して星川に伝えた。折しも、中華ソビエト共和国徐秀全が星川に小惑星衝突の可能性を示唆しており、星川からの信頼は揺るぎないものになった。同時に、予知夢の能力を持つという一面が明らかになった。七月革命に際して、新日本が天主教(基督教)を国教にするよう圧力をかけ、皇帝が法王を兼ねる「日本国教会」を成立させた(これが実現しなかった場合、星川を「日本教皇」に擁立する計画もあった)。一方で政治的には日本帝国(東京政府)に帰順せず、星川が建国した「日本民主共和国」に籍を置き続けた。

上杉橄欖
 革命に伴い、星川共和国が実効支配する埼玉県は「武蔵県」(北武蔵県・北武県とも言う)に改名された。アイリスは共和国の高級官僚として絶大な権力を握り、宗教的にも修道女(シスター)から昇格して司祭となり、この頃から「上杉橄欖」の名で知られるようになる。日共時代から公務員の仕事に慣れていた上杉は、星川による新国家建設を瞬く間に進めた。今は亡き日共やドイツ第三帝国(労働者党政権、いわゆる「ナチス」)など歴史上有名な独裁体制の手口を参照しつつ、秘密警察に代表されるファッショ的団体を次々と組織して実権を強化したが、他方では国民の政治参加や社会保障制度の拡充といった啓蒙的政策にも着手し、独裁化と民主化を同時に推進するという荒業に取り組んだ。人脈としては潮田(後に政治と距離を置く)のほか、駐日大使として赴任した徐秀全や、徐と共に亡命して来たキリシタン仁木鳥月などと協力して派閥を形成し、笹川孝和ら軍部を牽制して文民統制を主張した。

宗教行政
 彼女の信仰は、世界宗教と各国の政治・文化は共存できるという右派的な立場にあり、これは体制に歯向かわない範囲内で宗教を許可する中共改革派の利害とも一致した。その結果、親中派軍閥たる星川家において、「中共公認教会日本支部」とでも言うべきメンバーの中心となり、国内の教会勢力を親米から親中に誘導すると共に、「反中カルト」として中共政府が警戒していた十三宮派・須崎派・林鵬派などを異端として排撃する任を負った。

岩付城の戦い
 光復15年の第二次埼京戦争(岩付城の戦い)では、自分の先祖(扇谷上杉家)が建築したと伝わる岩付城の防衛に当たったが、太田愛(後の岩月愛)率いる太田騎士団による猛攻を前に一時撤退を余儀なくされた。最終的には大宮からの援軍によって太田勢を降参させたが、緒戦の失敗を教訓とし、人海戦術を過信する軍の意識改革に努めた…が、後述のように再び策に溺れる。

太田氏分断工作
 岩付戦の結果、太田愛・太田政景らは星川軍に仕官する事になった。これに対し、強大な太田騎士団の存在が共和国の脅威になる事を懸念した上杉は、太田氏を岩月家と摂津家に分断して弱体化させようと試みた。しかし、太田勢に好意的な軍部の反対によって骨抜きにされ、単に太田愛と政景がそれぞれ苗字を「岩月」や「摂津」に変えるだけの中途半端な結果に終わった。その後も上杉は太田を警戒し、どうにかして左遷したいと考えていた。

浦和騒動
 星川初の次代後継者をめぐり、予定通り星川結を支持する主流派と、星河亜紀を推薦する喜多条ら「青薔薇党」が対立する事態に直面した上杉は、折しも浦和市の東京租借地に進出していた十三宮教会を利用する事で、星川結を傀儡化し、青薔薇党を排除する謀略を仕組んだ。光復17年、星川結の反抗期に難儀していた星川初に対して、結を意図的に「家出」させ、十三宮家に保護させるという追放策を提案し、自ら決行した。その目的は、「十三宮が星川結を拉致した」という事件を捏造し、それを口実に十三宮聖らを抹殺する事であったが、「救出」部隊に任命された岩月愛にその意図を見抜かれ頑強に反対され、その際の「罪」と「恥」を巡る二人の口論(陰謀の是非)は星川軍人の間では有名。結局、星川初が岩月の才能を警戒していた事もあり、星川結と太田勢を浦和連隊に遠ざける事で事態は決着した。埼京戦争の一件もあり、岩月の教養と実力を謙虚に認めるようになった。一方、十三宮聖は星川結とその家臣を丁重に保護しただけでなく、教会交流を通して東京と星川の和解に努め、同時に自教派の異端的傾向の刷新にも取り組んだ。

加須政策
 岩月愛ら太田騎士団を左遷した結果、星川初の身辺を警護する親衛隊が当然ながら戦力不足に陥った。星川初の意向もあり、岩月の後継として加須市の小田皐月が登用される事になった。加須出身者を優遇した要因としては、加須が日本帝国宇都宮県に接する国境地帯であり、帝国側の懐柔工作によって寝返るような事態を防止する必要があったと考えられるが、浦和騒動の収拾に小田自身が貢献したという面も大きい。なお、上杉が浦和騒動の深層にどこまで関与したのか、また星川初や小田が上杉による一連の謀略をどこまで察知していたのかに関しては、未だ不明な点が多い。いずれにせよ、小田のように軍部の中にも自分に好意的な人物を増やしておく事が、陰謀に失敗した上杉が権力を維持する上で非常に重要であった事は言うまでもない。

ファントム・メナス
見えざる脅威
 十三宮家への敵意が薄れたのも束の間、今度は中国大陸の無政府主義的カトリック原理主義者である林鵬が、星川共和国領内を含む関東平野に潜伏し、密かに民衆から支持を得ているとの情報が届く。林鵬派の増大を許せば、中共政府がそれを理由に教会への弾圧を強める事は明らかだった。これ以降、彼女の宗教政策は、十三宮家などと協力して林派の摘発に専念する方針に転換した。しかし、自分と同じく「中共の駒」であるはずの徐秀全が、実は林を匿っていたという事にはまだ気付かなった。光復20年、埼京友好を目指す「教会外交」が評価され、国教会司教に昇進。

天下大乱
 その後も日本列島では、葉山円明との対決など数多の戦乱が勃発したが、最大の危機は光復23年(聖徳元年)の樹下進による反乱である。そこでは、星川初の戦死という最悪の結末が待ち受けていた。上杉は星川初に殉じようとしたが思い留まり、臨時総大将として空位を埋めた。その後は星川結を国家元首に祭り上げて実権を掌握し、笹川孝和ら反上杉派による襲撃事件、急進派に乗っ取られた帝国軍の大宮侵攻、側近として信用していた仁木鳥月の正体たる林鵬との決戦、そして帝国との統一に向けた終戦和平交渉といった無理難題を切り抜けた。

乱世ここに終わる
 建国者たる星川初は既に亡く、軍閥を継いだ星川結が平和を求める今、もはや武力による東京帝国打倒を想定する必要性は失われた。共和元年、埼京両国は「日本連邦」に統一し、星川結は一般市民となり、旧星川軍は連邦軍関東師団に編入され、ここに日本民主共和国は解消した。

駄菓子菓子、上杉の戦いはこれからだ!
 こうして上杉を含む旧星川閥は、表面上の政治・軍事勢力としては消滅したものの、実は帝国との統一交渉の過程で、高度な地方分権の保障、星川家財産権の不可侵、在地軍人の尊重といった準独立的な要求を東京側に強請しており、これにより星川関係者は統一後も既得権益を部分的にであれ維持する事ができた。上杉自身も河越市長に就任し、更には星川結の友人である天理陽晶を武蔵県知事に当選させて支えるなど、しぶとく権力を死守し続けた。このほかにも、
  • 当初は東京政府の吉野菫首相に面従腹背していたが、彼女がいつまで経っても戒厳令を解除しない事への批判が高まると、上杉も反対派に転じ吉野政権倒閣運動に暗躍。
  • 星川初を悪者扱いし、星川時代を否定的に捉える風潮に断固として抵抗し、そのような内容が記述された社会科教科書などを発禁・絶版に追い込む一方、「星川記念館」開設など星川礼讃・顕彰のため広報活動に尽力。
  • 武蔵県への利益誘導に努め、加須市谷中湖に「渡良瀬国際空港」を誘致する事に成功し、世界に通ずる国際都市を北武の地に築くという星川初の遺志を成就
  • 上記に比べるとどうでも良いが、中華ソビエト共和国から「名誉市民」に選ばれたらしい。
等々、星川恩顧の誇りを忘れず、政官界の黒幕として東京政府の「仮想敵国」であり続けた。帝国との統一は天下泰平をもたらしただけでなく、むしろ上杉にとっては旧敵国たる東京の国政に公然と関与できるようになる事を意味し、これこそが彼女の望みにして勝利だったのかも知れない。

外交
 内政面では高い手腕を発揮した上杉だが、軍事についてはほとんど素人だと言われ、しかし他方で秘密警察など少数精鋭武装組織の指揮は得意である。問題はむしろ対東京外交政策で、ある時は帝国との戦争を煽動し、またある時は早期和平を主張するなど、無定見で何をしたいのかよく分からない面がある。このため、主戦派からは「敗北主義者」、非戦派からは「戦争屋」などと呼ばれ非難されたが、彼女としては単に「勝てる時は勝って、退くべき時は退けばいい」程度に考えていただけとも思われる。また、敵国元首(つまり「ラスボス」)であるはずの雲母日女には好感を抱いており、上杉が単なる修道女から司祭に、次いで司教に任命されたのは、彼女が勝手にそう自称しただけではなく、雲母日女を戴く日本国教会からも承認を得ている。反上杉派の中には、彼女が早くから帝国に内応し、共和国を自滅させようとしているのではないかと考えた者もいるが、そのように疑われた背景には、こうした国教会との関係がある。

性格
 冷静沈着なサディストであり、丁寧語で相手を罵倒する姿が一部の層に大受け。星川・東京両軍の残念な将兵らが「橄欖様に裁かれ隊」とかいうファンクラブを結成しており、その集会がクーデター準備と間違われて討伐される事件もあった。彼らは望み通り上杉様によって査問(言葉責めの刑)に処されたが、本人も愉しそうだったのでまぁいいんじゃないの。但し、自分が正統派の信徒であるという自負は強いらしく、十三宮勇に「日本版パリサイ派」と揶揄された際には激怒している。

服装
 星川初への対抗心からなのか、胸元を露出したスーツらしき格好で知られるが、実はこれは日共時代の血塗られた人民服を使い古した物だと伝わり、かつてキリシタン虐殺に加担した己の罪を忘れないために着ているという。聖書に「新しきエルサレムは12個の宝石から成る」と記述されている事からパワーストーンを好み、自身も橄欖石(オリビン・ペリドット)を愛用している。

能力
 魔術は異教・邪教の産物と考えているため、予知夢以外はあまり使わず、戦闘は部下の秘密警察に任せる事が多い。しかし無意識に神の加護を受けているようで、攻撃力が低い代わりに回避・防御・回復能力に長けた属性である。

評価
疑心暗鬼な星川初が対等な「友人」と見なし、心から信用した唯一の人物であるとされ、「私は神も家族も本心では信用できないが、最後に信じられるのは自分自信とあなただけ」と言われるほど当てにされていた。上杉が目的のために取った手段には、後世から悪評を受けても仕方ないような行動が少なからずあるのは否定できない。また、日共時代に手を染めた数々の人権蹂躙=人道犯罪が、天主教入信と反共転向を免罪符として帳消しにされ、共和国からも帝国からも連邦からも何ら裁かれていない点を問題視する立場もあるが、これはほかの日共出身者にも言える事である。肯定的な評価としては、嫌われ者役に徹する事で星川親子の人望を相対的に高め、それによって星川への隣人愛を果たそうとした、良くも悪くも生真面目なキリシタンであったと見る。また、星川結の「御聖断」による埼京統一の実現も、その筋書きを用意し根回しに奔走したのは上杉だと思われるが、本人がその事を内外に自慢している様子は特に見られない。このように毀誉褒貶があり、「何考えてるのか分からない人」という見方も多いが、星川結曰く「ただの変態」であり、現段階ではこれが最も的確な評価なのかも知れない。
liyaliya
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