2014年12月21日日曜日

間宮 歩

「先日、北軽井沢で死にかけた」

 地質学者、禍津日原第四学校自然科非常勤講師。

「科学者」の残影
 正確な出自は不明だが、日本人民共和国の左派指導者であった樹下進に養育された。樹下の実子とも養子とも言われ、更には樹下自身の遺伝子をコピーしたクローン「ビショップ」のプロトタイプだという説もあるが、形質は自然界のヒトと同じで特に改造された痕跡はなく、外見・声ともに樹下本人よりは若い印象を受ける。

流星雨
 隕石落下によって日本列島が極度の混乱状態に陥った際、樹下は多くの部下を見捨てて(と言うか身代わりにして)逃亡したが、我が子として別格に可愛がられていた間宮歩は共に脱出する事を許され、追っ手を撹乱するため一時的に別れる事になった。

この世の終わりを乗り越えて
 その後、大牧実葉天河和茂らと共に禍津日原の隕石クレーターを徘徊する「日共残党」に拾われたが、天河達の急進的思想や暴力的行動にはほとんど共感できず、しかし彼らが略奪した食糧のお陰で生存しているため表立った文句も言えず、虚無な日々を過ごした。ただ大牧と同じく、隕石の熱エネルギーで形成されたテクタイト(天然ガラス)が禍津日原に散乱している事に興味を抱き、彼女と一緒にこれを集めてコレクションに戯れるなど、かつて樹下に蒔かれた科学的関心の種を萌芽させていた。

地質学
 父親同然の恩人である樹下を「偉大な科学者」と信じ、自身も理系学術を究めたいと熱望していた間宮は、社会復帰の機会が訪れると真っ先に日共残党から離れ、学校・図書館・孤児院などあらゆる場所で勉学に励んだ。そして遂に樹下との再会を果たし、天災と戦乱の辛い過去から解放されたはずだった。しかし、この人物こそが「日共最悪の人道犯罪者」として各地に指名手配ポスターを貼られている張本人であるという真実は、当時の間宮だけでなく、恐るべき事に政府の公安関係者ですら気付けなかった。
  • 樹下にとっては、自分に関する各種情報を改竄・削除したり、あるいは顔を「整形」したりするなどは、いとも簡単な技術である。
さて、頭は良くてもお金がない間宮であったが、樹下からの援助に加え、自らの優秀な受験成績による特待生割引などにより苦境を乗り越え、晴れて大学生となり樹下の研究室に師事した。当初は樹下と同じく人類学を専攻する事も考えたが、当の樹下から「私と同じ道を歩まないほうが良い」とよく分からない助言を受け、どちらにするか迷っていた地質学を選択した。もっとも、地質学と人類学は「第四紀学」として密接に関連・重複する分野であり、師弟の協働研究は大いに充実した。

社会進化論
 だが、長い時間を共に過ごす中で、次第に恩師との見解の相違も生まれた。樹下は進化論の中でも同種生物間の優勝劣敗を強調する「生存競争説」を重視し、それを人間社会に適応する政治思想を考えていた。確かに、市場経済に代表される競争社会はヒト同士の弱肉強食だが、それは法で認められた人権保障の範囲内であって、強者だからといって殺人や窃盗が許されるわけではない。その一線を逸脱し、人間の命にまで生存競争が独り歩きすれば、人種差別や全体主義につながりかねない事は、20世紀の重大な教訓である。間宮も樹下と同じく、特定の宗教は信仰していないが、だからと言って生命の尊厳という倫理的命題を、進化論で「科学的に」解決する事には躊躇があった。しかも樹下の場合、表面的には「自然淘汰」と言っているが、実は自然ではなく彼自身がヒトを含む動植物の生死を選択する「神」に成り代わろうとしているかのような雰囲気があった。このように、社会進化論は科学的には正しいのかも知れないが、その政治的応用には慎重を期するべきだと考えた。また、樹下との議論を重ねる中で、彼が唯物論の中でも特に共産主義にシンパシーを持っているらしい事を察した。共産主義も結果としてジェノサイドをもたらした思想であり、現にそれを標榜していた日共残党の実態は間宮自身がよく知っている。こうして、大先輩学者としての樹下への敬意は不変でも、イデオロギー的には必ずしも賛同しかねる態度を取るようになった。しかし、樹下はそれを理由に間宮を追放したり、大学授業の成績を下げるような真似は決してしなかったので、二人の信頼は揺るぎないと思われた。

禍津日原第四学校
 懐かしき禍津日原に学校が建てられる事になり、地理学を修めた大牧実葉と共に就職し、間宮は地学・生物学といった自然史(博物学)を教える「自然科」教諭になった。しかし、大牧が正規雇用なのに対し、彼女より「高学歴」なはずの間宮はなぜか非常勤講師であり、事実上のクラス担任や学年主任といった責任重大な立場になっても給料があまり増えない。だったら副業でも好きな事をしようと思い、鉱物・化石の販売店を商った。また、自然科学部の顧問として天河瑠璃の指導に当たった。フィールドワーク(現地調査)を積極的に行い、「星川民族」とかいう人種が棲息している前橋県北軽井沢に侵入して死にそうになったり、禍津日原を巡検していたら「東京文明人」と「星川民族」が何か戦争し始めて死にそうになったりした。自然史研究は命懸けである。

疑似科学
 「超常現象の正体を科学の力で暴く」という暇な趣味があり、どう見ても合成にしか見えない心霊写真をパソコンで合成したり、どう見ても偽物にしか見えないUFO模型を偽造したり、どう見ても着ぐるみにしか見えない未確認生物の「中の人」を演じたりして、科学的合理主義の啓蒙に努めているつもりである…が、実はそう言う彼自身が誰よりも地球外知的生命体との遭遇を熱望しており、屋上に設置した謎のアンテナ(中古品)で宇宙人と「交信」しているが、いつまで経ってもなかなか「返信」が来ない。なお、この電波は航空機が墜落するほどカオスなデータである。

樹下進の正体
 隕石衝突時に大牧を救出してくれた旧日共軍の遠野衛が逮捕され、禍津日原に収容される事になった。そこで遠野と面談した間宮は、驚愕の真実を知らされる。20年前、隕石の混乱に乗じて樹下を襲撃したのは彼女である事。それには相応の理由があり、樹下は人民を意図的に餓死させるような政策を行ったばかりか、非人道的な人体実験にまで手を染めていたという事。そして、彼は今なお生存している可能性があり、共産主義本来の理想がこれ以上悪用されないためにも、恐るべき計画が発動される前に討たなければならないという事。遠野が記憶している樹下の(表向きの)性格は、間宮が知っている樹下とほとんど同じであり、同一人物である事はほぼ間違いない。間宮は真相を本人に確かめるため、樹下との連絡・接触を試みるが、時すでに遅く、彼は跡形もなく失踪してしまっていた。

別れ
 莫大な犠牲者を出した陸奥地震津波の調査に追われる中、悪夢は遂に現実となり、この時を待っていた樹下による大反乱が勃発した。間宮は樹下と直に会ってその真意を確かめるべく、また日本政府から交渉人としての役目も期待され、身命を賭して平泉に向かうが、彼の凶行を阻止する事は叶わなかった。しかし、最終的に敗れた樹下の最期に立ち会う事はできた。

「キノシタ細胞」は、あります!
 間宮は樹下の遺言に基づき、彼が残した膨大な研究成果を発掘し、一連のクローン技術が医学分野で平和利用されるように取り計らった。その結果、多くの難病患者を救う再生医療が実用化に向かう事になった。樹下は最期まで、我が子にして愛弟子の間宮が自分に味方する事を期待したが、同時にそれを拒否する事も認めた。そして、樹下に与しない道を選んだ間宮は生き残り、尊敬する恩師の遺産を「人類の進化」に役立てた。それこそが、樹下の望みだったのかも知れない。

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