2014年11月12日水曜日

星川初

しろすず
八紘一宇
―泥にまみれたその先に―

 北武蔵県・前橋県を支配する軍事政権 日本民主共和国(いわゆる「星川軍閥」)総書記にして、「大宮の女帝」の異名を持つカリスマ的指導者。星川結の母である。

出生と原罪
 日本人民共和国樹立に貢献した陸軍統制派将校 北条朔(ほうじょう はじめ)少佐の娘だが、日共への反乱を企てた父親を謀殺して北条家を滅ぼし、独裁政党「輝く未来」への忠誠を示した。その功により出世の足掛かりを得るが、しかしそれと同時に、親殺しの罪を生涯背負い続ける宿命を受け、いずれ自分とその子孫が天下を取って権力を握り、日本列島に「地上の楽園」を築く事で償いを果たさんと決意する。

日本の赤い星
 人民発展の絶対必要条件として第一次産業を重視し、農政官僚を志した北条初は、埼玉県北東部を流れる星川(利根川水系)流域の役所で研究と事務に励む事になった。その際、反逆者の血を引く鬼子という出自のイメージを払拭するため、苗字を「星川」に改めた。そして、この星川家が日共を乗っ取る日を夢見て行動を開始する。後に星川軍閥の与党となる星川沿岸農業協同組合(星川農協)が結成されたのも、この頃であろう。

大陸視察
 ロシアに次ぐ共産主義先進国として知られていた中華ソビエト共和国での留学・視察を経験し、軍部(国防委員会)の徐秀全や多くの政治家らと親交を結ぶ。当時の中国大陸では、計画経済に固執する極左勢力(文化大革命派)が力を失い、共産主義を標榜しながら実質的には資本主義を部分的に導入する「社会主義市場経済」が試みられていた。心身共に窮乏化する一方の日本人民とは対照的に、働けば豊かになれると信じて農工業に勤しむ労働者・農民の姿に星川は感銘を受け、「君のような若くて勤勉な人材が日共主席になれば良いのに」と中共の改革開放派からも厚い期待を得た。

星川派形成
 帰国した星川は、先輩の日基建(本心では西欧派)と共に親中派・改革派グループを形成し、日本も中共に倣って市場経済を導入すべきと主張。樹下進ら左派は大反対したが、滝山未来主席や遠野衛司令官は一定の理解を示し「試しにやってみよ」と命じた。主として工業部門を担当する事になった日基に対し、星川は関東農務人民委員として食糧増産(日本版大躍進政策)に努めた。彼女が進めた「星川農法」は、用水路などの設備を充実させ、自然界の回復能力を過度に損なわない範囲内で効率的な集約農業を行うという、至って普通の内容なのだが、そうした基礎的ノウハウすら「革命」の名のもとで焚書し、「原始共産制」への回帰を理想としていた日共においては発明級であった。

寿能城への道
 役職の昇進に伴い、星川コミューンから大宮コミューンへの転勤を命じられ、東京に近い埼玉中枢で政務を執る事になった。内陸の埼玉県は寒暖が激しく、飢餓も深刻であったが、星川の尽力と中共の援助によって徐々に回復し、県民からの感謝と人望を一身に集めた。一方で星川は、数百年前に滅ぼされた戦国武将の城砦や、そこに築かれた第二次大戦の高射砲陣地が、大宮に遺跡として残っているとの情報を手に入れる。日共の宗教弾圧で荒廃した神社の奥に、果たしてそれはあった。この地に潜伏していた隠れキリシタン潮田フローラ(螢石)によると、かつてこの砦は「寿能城」と呼ばれ、(一説には星川の先祖とされる)小田原北条氏に仕え、それゆえ豊臣軍に攻め落とされたのだと言う。星川は密かに、寿能城の修築・再建を部下達に命じた。一握の希望は、確かな光となりつつある。

青年将校「星川大尉」として
 星川は文民だけでなく軍人をも味方に取り込むため、日本人民解放軍(日共軍)の徴兵に積極的に応じ、場合によっては自ら志願した。そして、埼玉県に駐屯する関東師団大宮旅団に招集されたが、自身の善政が奏功し県内での事件はほとんどなく、県外の反乱鎮圧に遠征する事が多かった。特に、山形県の百姓一揆を率いる清水賢一郎や、王政復古を目指す西宮堯彦泰邦清継らと幾度も交戦したほか、太田愛と称する少女の遊撃で一隊を全滅させられるという辛酸も味わった。

星川戦術の実態
 軍人としての星川は一見、敵を容赦なく殲滅しているように思われるが、実際には農山村を根こそぎ焼き払うようなやり方を好まず、火力砲撃を最小限に抑えている。しかも、星川が指揮する砲火作戦は、実は「焼畑農耕」としての効果を計算した上で実行されており、大宮旅団に「討伐」された地域では、かえって収穫高が増加したという統計がある。文官出身でありながら、我が身を惜しまず最前線に出陣し、武器を失っても素手で戦い抜く勇姿は軍人達の心を捕え、日共政府(特に左派)に不満を抱く将校層を中心に、大宮旅団という軍隊内においても自らの影響力を広げた。実力からして、その気になれば佐官・将軍への昇進も不可能ではなかったと思われるが、本業の農政から離れるわけにはいかず、また少佐だった北条朔への遠慮もあってか、日共軍での最終階級は大尉であったとされる。

失脚と造反
 政・軍双方において着実に身を立て、遂には主席に次ぐ総書記の地位に推薦されるなど、順調に自らの勢力を広げつつあった星川だが、日基建が米国に亡命するという不祥事が発生し、重要な後ろ盾を失う。冷戦が終結に向かいつつあった未来30年メスィドール(光復元年6月)、中共首都 北平天安門広場で学生と軍隊が衝突する事件が起き、改革開放派が分裂して日共への影響力が弱まった。これを機に左派が巻き返しを謀り、星川をクーデター容疑で追い落とそうとした。やむを得ず農務委員の職を離れ、軍に再入隊して東北省への出兵に動員されたが、既に大宮旅団の多くは星川に同心しており、彼女を軍に追いやった事は、かえって反乱の機会を与える結果になった。一方、親中派の星川を失脚させた事に中共政府は激怒し、日共を見限り星川ら親中派による新政府樹立を待望し、徐秀全を通した暗号で造反を促した。こうした情況下で、小惑星災害が起きた。

出羽大返し
 全ての条件は整った。隕石が降り注ぐ中、山形の百姓一揆と対陣していた星川は、自らを元首とする「日本民主共和国」の建国を宣言し、既に懐柔した大勢の将兵達から拍手喝采を受けながら、大宮旅団総司令官の権限を完全に掌握。農民側参謀の神前寺鳥海と和睦し、疾風怒濤に東京を目指した。同じ頃、新潟県を制圧していた外交屋の馬坂越後守と密約を結び、中共からの補給ルートを確保した。更に、群馬県の世良田興家(没落した坂東佐幕派士族の子孫)とも同盟し、結果として服属させる事に成功する。

七月革命
 一方、亡命していた日基建は米軍と共に関東に上陸し、星川軍に先んじて東京を陥落させた。星川は遅れを取りながらも埼玉県を占領し、当面は日基の日本国民軍と協力して、栃木県に逃れた日共軍との決戦に臨んだ。テルミドール(7月)7日、宇都宮での勝敗が決すると、日基は雲母日女を皇帝に奉戴して日本帝国を建国し、後には国名だけでなく県名をも改めた。こうして、武蔵県・前橋県を支配する日本民主共和国と、東京府・相模県・房総県・常陸県・宇都宮県を統治する日本帝国とが分立し、星川側は関東地方を「関東省」、東京側は「関東州」と呼び、互いに正統な政府を称して対峙する事になった。

「星川王国」の舵取り
 星川は日本民主共和国総書記に就任し、形式的には日共政府の後継者として社会主義を標榜したが、実態は終身別格将軍たる彼女の軍事独裁政権であった。また、欧化政策を進める東京政府とは対照的に、領内の神社を国教の如く保護したり、星川家は桓武天皇の末裔(伊勢平氏)だと言い始めたり、「国母」として家族主義的な「徳による支配」を進めたり、他方でドイツ第三帝国の翼賛体制を参考にしたり、遂には社会主義なのに反共を唱える等々、日共時代とは明らかに異なる右翼的性格も示した。一方、経済政策はかつて自らが日共改革派として立案・実践した現実路線を踏襲しており、限られた国土を有効利用して農工業を育成し、社会福祉にも気を配るなど、独裁者なのに啓蒙的な統治で人民から絶大な支持を受けている。農政官僚らしく食料自給率は非常に高いが、生命線たる化石燃料の輸入ルートが不安定という致命的な問題に対処すべく、東京政府よりも早く太陽光発電を導入した。但し、これらの善政は中共からの莫大な借款によって賄われている。

埼京戦争の虚実
 中共と米国の代理戦争として、星川と東京は関東の領土争奪、ひいては天下の覇権を巡ってたびたび武力衝突しており、これらは埼京戦争と総称される。七月革命直後の第一次埼京戦争や、光復15年の岩付城の戦いなどが有名で、特に岩付戦ではかつての敵である太田愛(後の岩月愛)を味方に取り入れている。戦力・兵站など多くの面において圧倒的不利にもかかわらず、米軍に訓練された東京政府軍と互角に戦えるのは、星川軍の士気・統制が非常に優れており、堅牢堅固な対空防衛網を有するだけでなく、何より核武装国である中共との同盟に依る所が大きい。東京や米国にとって、星川領への全面的侵攻は、中共との核戦争=第三次世界大戦を招くリスクがある。星川側も、口上では「東京を火の海に沈める!」などと豪語しているが、本心では全面戦争など望んでおらず、瀬戸際外交で東京政府を恫喝して譲歩させ、星川に有利な条件を引き出した上で、最終的には日本帝国と平和的に統一するというプランを構想していた可能性が高い。

埼京は本当に敵国同士だったのか?
 そもそも埼京両国は、互いを正統な国家と承認していないのに、平時においては事実上の自由貿易を行っており、越境に伴う「入国手続き」も日に日に簡略化されている。実態は「喧嘩するほど仲が良い」友好国と捉えたほうが良いかも知れない。日本人同士が、それも狭い関東平野の中で殺し合う事など、もとより双方とも望んではいないのだろう。

軍拡と軍縮
 星川軍の兵装には、日共時代の物、中共から密輸した物、それらの設計に基づいて自作量産した物がある。軍需品の密輸は法的リスクが大きいので、少しでも自給率を上げる事が重要である。鉱物資源の一部は、秩父山地で採掘している。重厚長大な戦車を減らして軽量化を試み、迫撃砲・地対空ミサイルや地雷を駆使するが、対人地雷は国際法や人道上の問題があり、平時においては交通の障害にしかならないため廃止したようである。

個人崇拝と英霊顕彰
 自身を「全人民の母」として現人神の如く権威付けているが、日共時代を全否定しているわけではなく、比較的好意的に接してくれた滝山未来に対しては現在も敬意を抱いており、日本民主共和国は彼女を初代かつ唯一の「主席」と見なしている。北条朔も「元帥」に列せられるなど、出世の踏み台として粛清された者達の名誉回復が行われている。星川自身は別格将軍と見なされているが、実は軍法上においては大尉から昇進していない。

思想
 かつては共産主義に帰依していたが、時代の制約上そうせざるを得なかったのであり、本心ではあまり当てにしていない。ただ、政治の方法論として利用できる部分は利用している。神道や天主教(基督教)を保護し、彼女自身は諸子百家以来の中国思想に多くを学び、一般的には道教を信仰していると見られている。過度に清貧禁欲だった日共イデオロギーへの反発ゆえ現世利益を肯定し、肉体的煩悩から解脱する気はあまりないため、厳格な教義は苦手。

将軍継嗣問題
 長女の星川結を後継者にする予定であったが、結は放縦な言動が多く、政治・軍事の資質に著しく欠けると思われていた。このため、分家の星河亜紀に仕える喜多条誠らを中心に、長女世襲の御再考を求める嘆願が相次いだ。対して、明確に「お嬢(結)絶対支持」を主張したのは上杉橄欖・岩月愛・笹川孝和など比較的少数であった。この対立は光復17年に激化し、共和国を結派と亜紀派に分裂させかねない事態となった。こうした中、自身を巻き込む権力闘争に危機感を深めた結は、大宮を脱出して東京への亡命を試み、浦和租界の十三宮聖に保護された。一方、亜紀は翌年の上野テロ事件で消息を絶ち、仮に生存していたとしても後継者候補から外れる事になった。かくして星川家の命運は、結の意志・実力と人間的成長の如何に託された。なお、一連の騒動は上杉が仕組んだ陰謀とも言われている。

爾後の御活躍
 光復21年に埼京防共協定が結ばれ、日本民主共和国と日本帝国は事実上の同盟関係を築いた。東京政府による他軍閥や日共残党の平定を支持する一方で、来たるべき東京との最終決戦や統一交渉を見据えて国力を温存させていたが、八月事変が勃発すると禍津日原の西宮堯彦総督に協力し、共産主義者に乗っ取られた東京軍と戦った。東亜地中海戦争に際しては、中共と国交を持たない東京政府に代わって和平工作を担った。日共最後の亡霊である樹下進が東北で大反乱を起すと、星川軍を総動員して怨敵との決着に向かうが、あろう事かクローン人間の軍事利用を実用化していた日共軍に苦戦を強いられる事になる。臨終に際しては死後の内ゲバを憂慮し、星川一門の結束を遺言した。

家族
 「最愛の夫」がいたようだが、日共時代に殺害されている。再婚はしなかったが、星川家の子孫に権力者の座を継がせたいという強い執着があり、数多くの男性と愛人関係を持っているものの、子宝に恵まれる事は少ない。長女たる結もこのような事情の中で生まれたと考えるべきであろうが、なぜか結の父親についての情報はほとんど公開されておらず、初・結と異なり不特定多数の人前に現れる事もない。その理由について、「多くの男性と交わったため、誰の子か判らない」と邪推される事もあるが、遺伝子を鑑別すれば判るはずである。

分家
 親戚に、結と同い年の亜紀を輩出した星河家(星川南家・江戸星川家)がおり、平時は日本帝国の民間人として東京に居住するなど、権力者である本家とは一定の距離を置いている。歴史的にはこっちが星川家の元祖本流だという説もあり、初の義弟にして重臣を務めた喜多条誠も亜紀家に仕えていた。

『Planet Blue』主人公にとっての星川初
 星川初と十三宮聖は昔から面識があったらしく、プレーヤーは主として聖に養育されたが、初からも我が子のように可愛がられており(授乳もされたらしい)、その際に結との友情も育んだ。それゆえ、聖を「姉」、初を「母親」、結を「幼馴染」と認識している。

その他
  • 人間の欲望を上手く利用し、強権と甘言で「平和的に」支配するのが得意。敵対者の土地を買収して中華街に変えるといった嫌がらせをする。
  • 財政支出に占める化粧品費(研究開発含む)の割合が年々増大しており、上杉曰く「傾国を招く由々しき事態」。日本民主共和国は、大宮の中心で「星川初のエロ女郎!」と絶叫しても弾圧されない自由の国であるが、彼女の実年齢に関しては、発言した瞬間には既に秘密警察に包囲されている特定秘密である。
  • 日本民主共和国は、「刑務所」などという西側諸国の野蛮な建築物が一切存在しない美しい国である。代替施設として、ラブホテルにしか見えない「矯正」収容所が多数点在する収容所群島である。
  • 捕らえた者を己が一存で銃殺刑に処す事ができるが、殺生を好まず執行率は低い。
  • 結は「母ちゃんのやり方は気に入らない」と言っているが、「仲間を大切にする」「金の力で物事を解決しようとする」「金で駄目なら武力(喧嘩)に訴える」「敬語を使わない」「誰にも束縛されたくない」といった結の性格は、良くも悪くも初から受け継いだものである。
  • 彼女の邸宅兼政庁である大宮寿能城は、戦国~桃山時代の遺跡を対日共軍の拠点として要塞化した施設であり、上級官吏・近衛兵らが寝食を共にしている。城内見学や部屋の貸し出し、実弾射撃体験など一般向けサービスも無駄に充実しており、初の気前の良さが良く分かる。
星川初個人の軍事力
 属性。銃器としてサブマシンガン「レヴォル」(ヒスパニア語「革命」)を愛用するが、接近戦では少林寺・太極拳などの拳法で充分に戦える。タロットは3「女帝」。

池村ヒロイチ池村ヒロイチ
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