2014年11月24日月曜日

高山照道

 東京軍所属陸軍士官。階級は佐官→少将。「自律したオセロの駒」と批判される程 転向や裏切りが多い。
「奴にとっては立身出世の為の陣借りに過ぎんのだよ、宮仕えは。誇りや矜持は自己に秘めて完結し、他者からの侮辱なんぞは跳ねた泥 程にも思わない。一種の輩だ」(ある士官)
 日共時代の新任士官として着任した畿内の連隊から軍歴を開始。まず最初にした事は連隊長の陰に入って服属したアピールをする事であり、そこから利益を得る事であった。隕石落下後の革命により日共が倒れると連隊長を矢面にして粛清を逃れた。

 畿内軍閥にて連隊長となるが、兵を募っていた宇喜多勢に部隊ごと寝返り、旅団長となる。宇喜多・出雲介降伏後は改めて畿内軍閥に従うが、前線から引き剥がされ後方閑職に回される。頭打ちを悟った高山は小銃千丁を伊勢鈴鹿の大隊へ輸送中 星川参謀上杉と組んだ徐秀全の手配した中国籍輸送船へ積み込み、自身も東海方面から星川領へ高跳びした。輸送の手配をした三沢実幸は責任を取らされて更迭となり、宇喜多が拾う事となる。

 高山は暫く星川に留まるつもりだったが、硬骨漢ばかりの星川ではキャラクターが受け入れられず孤立。そこで日共残党と知己を得て地下組織に足掛かりを作り東京側へ情報を漏洩し亡命の布石を打って機会を待った。両軍交戦中に敵戦線へ浸透を試みる東京軍を手引きしてそのまま裏切り東京軍士官に属した。川口秀和達強硬派「イージス」に名を連ねた。一方で上野における日共残党の武力蜂起・星河暗殺を煽動したが、この時暴発した日共残党の一つ「東亜解放戦線」は高山が利用した地下組織であり、次第に関係が重荷となった彼等をこれまでの口封じに川口による空爆と地上軍による掃討で始末した。その後は各地の日共残党掃討の為に対反乱作戦群「フォックスハント」を率いて陰日向で生きる残党達を老若男女問わず殺害して資産を押収(但し多くを着服している)。東京政府への忠誠心を示し「汚れ役」として活躍の場を得て昇進していった。

 東京政府内では日基建に従いつつ、川口達と裏で葉山に通じたが日基が殺害されると日基と親しくしていた為の誹りを危険視し反葉山へ「表返り」した。しかし葉山死亡後は吉野菫から葉山派として予備役編入されて放逐となった。一時は日共残党狩りで着服した資産を元手に引退を考えたが川口がクーデター計画を打ち明けて来るとその失敗を悟りつつもクーデターの結果如何に関わらず政権への動揺が大きい事を見て取った高山はこれを利用しての復帰を狙い徒党に加入。纏まった計画を握って西宮総督側近 鷹司氏にリーク。事態を憂慮した鷹司により放たれた刺客の襲撃で徒党は虐殺され、川口は高山自ら面会し睡眠薬を盛った上で湖へ放り込み殺害。高山は口封じを兼ねて軍務に復帰させられ、この後は対反乱作戦指揮官として軍務にて戦功を上げた。

 しかし、内乱の終結が現実味を帯びると、自分の様な汚れ役は疎まれスケープゴートにされる時代が来ると感じ、幾つかの社会不安要素については敢えて見逃し内乱の種を放置した。平泉周辺にて陰謀の疑いが見受けられた際にもこれを握り潰し結果大乱を招いた。

 後の七宝院攻防戦では軍を率い容赦なく砲撃を繰り返し生徒教員の投降者を惨殺する等して学園側の士気を落とさんとしたが却って戦意を高め、友軍が逆に動揺。やむなく陣頭指揮を取って前線の混乱を鎮めようとするが、その際に生徒の投石を額へ受けて死亡した。死の間際には自らのミスを悔いたがしかし「まあ、悪くない人生だった」とそれなりに満足して死んだ。元々部下には「平和な時代なんて見たくない、悪い夢だ」と述べており戦闘中の死ではあるが、指揮や振る舞いには悔いがあっても戦死自体には後悔が無かった。

 尚 彼が利用した地下組織等は彼の死と共に機能を失い、四散。彼の罪科は殆ど明らかにされていない。

 裏切り者・陰謀家の常として計算高く嘘つきであるが、道徳・倫理が必ずしも無い訳でなく、それなりに良識を持ち合わせている。反共をこじらせて凶暴になった「イージス」の構成員に対し「奴らは殺し方を知らない」と不満を持つなど矜持や倫理観は独特(自己本位だが)な物がある。一方で「イージス」に属して反共に熱を上げる川口や「『輝く未来』の成れの果て」こと「狂い堕ちたシルバーバック」草壁錠陸軍中将が日共により心を砕かれて今に至るのを理解してはいる(その上で使い潰す気だが)。

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