2014年11月28日金曜日

藤原鷹司室町智子

青珠りせ
以和為貴
―お上の供なら地の底までも―

 西宮堯彦の側近。前近代の朝廷に巣食った藤原北家摂関家)の末裔。名門出身のため氏姓が複数あり、日共時代は「室町」、光復時代は「鷹司」、聖徳時代は「藤原」を苗字とした。


 鷹司家は室町時代に断絶したが、後に復活し、特に第二次大戦後、元化天皇ら南朝皇族と共に突如として歴史の表舞台に姿を現した。元化新政の下で要職に就いたが、日本人民共和国の成立によって失脚。西宮堯彦・泰邦清明清継の父親)に合流して反体制運動を行い、特に西宮が平安京を占領した「山城法華一揆」で活躍。

 日共滅亡後、元化上皇は自らの専横がプロレタリア革命を阻止できなかった教訓を踏まえ、皇帝に助言を行う関白職の復活を提唱、その候補として鷹司家を推薦した。しかし、帝位に就いた雲母日女は封建的な制度を嫌ってこれを拒否。鷹司家は西宮を帝に擁立すべく政変を企図するが失敗し、クレーター復興庁に左遷された。以後、禍津日原における西宮の有力家臣となった。

 鷹司家の長女である智子は、幼い頃から西宮堯彦に仕え、絶大な信頼を受けている。厳格な仏教徒で妻帯を忌避する西宮にとって、人生の伴侶と言うべき存在であり、クレーターに「流刑」された彼が絶望的な復興を成し遂げ、禍津日原総督府として事実上の軍閥にまで成長できたのは、智子の支えによるところが大きい。一方で鷹司家には、駐屯軍基地の落合航司令官と共に、不穏分子の暗殺を指揮していた可能性も指摘されている。

 二人の関係は純潔にして円満そのものであり、その辺のリア充風情や2次元としか恋愛できない残念な臣民とは一線を画している。但し、西宮は『源氏物語』マニアであるため、その趣味に付き合わされる事が多い。

 光復20年、禍津日原第四学校に入学した十三宮仁に請われ、(かんなぎ)研究会(通称「巫女部」)顧問に就任。巫女服で禍津日原をお掃除しながら、神社神道を中心とする日本文化の研究・教育に尽力した。

 聖徳元年(光復23年)、西宮堯彦が皇帝に即位すると宮中に参上し、彼の神仏傾斜に反発する教会勢力の説得に努めた。共和元年の平安京独立にも参加し、西宮の側に生涯仕えた。

 石神(パワーストーン)たる水晶であんな事やこんな事をする、古典的な「ジャパニーズ シャーマン」である。

 西宮が求道者として禁欲主義を貫くのに対し、智子は現世利益に肯定的な多神教を信仰しており、仲睦まじい二人だが価値観には差異がある。つまり、西宮にとっての祭祀儀礼は、煩悩から解脱するための厳粛な修行を意味するが、智子は酒に酔い痴れたり、男女が交わったりする欲望的な「お祭り騒ぎ」にも理解を示す。このため、下図参照の如くけしからん浴衣を着ており、殊に西宮から冷たい態度を取られると、出奔して浮気相手を探し始める(いつも「堯彦様、浮気は駄目ですよ!」とか言ってるのに)。また、ぜひ読者にもご確認頂きたいが、画像によってバストサイズが明らかに異なる場合があり、豊胸手術に手を染めてしまった容疑があったりなかったりする。
liyaliya
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