2014年11月28日金曜日

方広院 藤原近衛和泉

青珠りせ
梁塵詠詩
「忌みても愛おし言の葉よ」

 山城国平安京密教尼僧。本名は近衛和泉(藤原氏)で、比叡山一乗止観院(近江国大津)に帰依して「方広院」と号す。近衛秀国を養育し、その天下取りを支えた。


 日共時代には中華ソビエト共和国徐秀全と密かに連絡を取り、近衛家への支援を引き出す。七月革命後、「大日本皇国」畿内軍閥における黒衣の宰相となり、巧みな外交手腕で領国を広げて行く。光復7年に大坂を襲った大震災を機に出家するが、その後も権力の中枢にあり続けた。

 武芸の秀国に対して、文教政策とりわけ国語教育に熱心に取り組んだ。日本古来の伝統的なアニミズムを信じており、「わたくし達が普段発する言葉にすら神霊が宿るから、大切に使わなければならない」と度々語っている。その思想をまとめた著書は、所属する軍閥を問わず、多くの保守主義者に愛読されている。彼女がこれまでに詠った膨大な詩歌の数々は、現代の平安文学と評しても過言ではない。

 そのあまりにも雅な立ち振る舞いから、「和泉御前(ごぜん)」「式部様」などと愛称された(秀国からは「姉御」と呼ばれる)。男性向け週刊誌の特集記事「読者が選ぶ『抱きたい軍閥美女』ランキング」では、雲母日女星川初と並ぶ「日本三女帝」に選ばれ、前二者のような自己顕示欲を感じさせない謙虚さに萌える層から支持された(この出版社は、自分がランクインしていない事に激怒した吉野菫の政治的圧力で発禁・廃業寸前に追い込まれ、後に吉野を含めて「四女帝」とした訂正記事を出して何とか赦された)。

 方広院に関する資料は限られており、以下に述べる情報も、口承や所謂オカルト(とんでも)本の類に依拠する部分が大きい。よって、学術的には立証されていない記載が多々ある事を了承されたい。

 その正体は、「ダークサイド」に堕ちた言ノ葉学園第一期卒業生であり、学園長ら創立者の直弟子に当たる。たった一人で書道部に属し、和紙を常に携帯しては作詩に励んでいた。成績優秀・素行良好の典型的優等生であるのみならず、定型詩を詠むだけで相手の心を動かし、敵する者を屈服させるという神懸かりの文才を持っていた。「宿敵」たる能登彼岸華道部長との決闘は特に有名で、校史にも名を残している。その気になれば生徒会室を一人で牛耳り、部室や予算などの部活利権や、校則改正要求などの特権を独占できる程の実力があったとさえ言われている。しかし、和泉はそうした見返りを求めず、ただただより良い詩歌を創るために仲間やライバルと切磋琢磨する事を望み、「誰からも奪わず、誰からも奪われない」平和な学園生活を送った。こうした華麗な態度は多くの生徒から人望を得る一方で、学園長は彼女の「いい人」過ぎる性格に一握の不安を抱いていた。

 そしてそれは的中し、いつの日か和泉は、彼女の堕落を望む何者かの甘言に乗せられ、漢詩の力を悪用して人を呪い殺す術に手を染めてしまう。それは、相手の名前を切り裂く漢詩(例えば、「家康」という人を呪いたい場合は「国家安康」などと詠む)を使った黒魔術で、念が強ければ心臓を止める事すら可能であった。学生時代の修練により、ある言葉を声に唱えたり、文字に書いたりするだけでも、その言霊に込められた「神意」を実体化させる能力があった。畿内軍閥が関西全域を支配できた理由は単純で、方広院がこうした呪詛で政敵を次々と暗殺していたからである。秀国はそんな事など知らず、自軍の勝利は己が武勇と家臣の忠誠、そして方広院の「優れた交渉術」によるものだと考えていた。

 光復21年夏、畿内軍閥は東京・九州鎮台との全面戦争に突入する。方広院の呪術もあり、畿内軍は二正面作戦を耐え抜くものの、日基建首相に寵された葉山円明次官は、あろう事か大坂への弾道ミサイル攻撃を立案し、これを強行してしまう。畿内軍は一瞬にして壊滅し、民間人にも多数の死傷者が出た。この惨事に直面した方広院は憎悪に燃え、遂に物の怪としての本性を覚醒。異形の姿となって能力を無制限に暴発させ、故郷を灰塵にした者達への復讐と、天下の破滅を絶叫する。彼女の呪詛通り、日基は葉山に謀叛を起こされて死に、葉山もその無謀なクーデターによって自滅した。だが、異変を察知した宇喜多清真が駆け付け、激しい「念仏合戦」の末に降魔され、最期は平安なる境地に達して涅槃した。死後に見付かった日記には、「まだ未熟な秀国様が、神聖なる御手を穢す事なく天下人となり、民と共に泰平の世を導くのを見届けるため、『悪魔』に魂を捧げた。恨まれ、地獄に堕ちるのはわたくし一人で良い」と書かれていた。

 雲母日女皇帝は彼女の怨霊を畏れ、「方広院」という称を朝廷からの正式な追号として贈ると共に、降伏した秀国らを丁重に扱うよう吉野新首相に求めた。

 同年、方広院の母校だった言ノ葉学園で不可解な事件が起き、政府軍特殊部隊までもが動員された末に、校舎は廃墟と化した。そして、彼女の正体に関する多くの資料も失われた。光復21年、普通でない力を持ってしまったがゆえに普通に生きられなかった者達の物語は、かくして一つの句切りを迎えた。

 その後、方広院が播いた国語教育の種は順調に芽を伸ばし、関西は国内外の学力調査で好成績を記録し、文系のみならず科学技術方面にも多くの優秀な人材を輩出した。同時に、英語や天主教などの欧化主義に偏重した日本の教育界にも一石を投じた。また、方広院に師事し、彼女と同様の能力を持った家臣達は、言ノ葉学園の元生徒達を支援したり、その力を世のため人のために役立てたりした。

 全てを知った秀国は、方広院が有したとされる能力を「事実」として公表し、犯した罪を彼女に代わって懺悔した。しかし、方広院の人格を崇敬する領民は多く、呪殺された者の遺族の中にでさえ、憎き宿敵だからこそ今は冥福を祈りたいという声があった。こうして、方広院を祀る神社仏閣が在野の有志によって建立された。言ノ葉学園とそこに通った人々の真実は歴史の闇に葬られたが、毎年の夏、方広院の命日でもある盆の季節を迎えると、かつての同級生や後輩達がどこからともなく校舎跡とこの寺社を訪れ、墓碑に花束が供えられるという。

学生時代の近衛和泉
・近衛 和泉…書道部部長。部長会会長。『詠詩』の異名を持つ少女。人の心に詩を滑り込ませることで人心を操る、言霊使いの雛形ともいえる能力を持っていた。部長会の中でも抜きんでた言霊使いであったが、権力や金銭に興味がなく部費や活動場所もかなり機械的に決めてしまうところがあった。後の方広院。
同時期の部長会には、爾鳥悠聖(演劇部長)・廓 浮嶌(家庭科部長)・木岐岸 尾久雨(文芸部長)・能登彼岸(華道部長)がおり、特に「花言葉」を操り同時に複数の効力を発動できる能登には、和泉も相当苦戦させられたらしい。

あん子あん子

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liyaliya
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