2014年11月27日木曜日

吉野五人衆

 光復15年の九州政変で活躍した地元出身の将校で、西海州政府(九州鎮台)副官部の主要メンバーである
  1. 飯塚徳一(いいづか のりかず)
  2. 小倉秀幸(こくら ひでゆき)
  3. 村中孝作(むらなか こうさく)
  4. 江上慶也(えがみ よしなり)
に、陸軍歩兵大佐の波佐見則貫(はさみ のりつら)を加えた五人を指す。

 アメリカ連邦と誼を持つ「留学組」で占められた副官部の中でも、特に関係の強い四名が海兵隊で訓練された波佐見配下歩兵連隊を背景に権勢を握った。米軍の力を背景に九州鎮台の支配を行う吉野菫の軍政を支えた。

 有能な副官達だが、戦場での指揮は波佐見江上しか経験が無く、前線を張る古参将兵からは疎まれている。また波佐見飯塚江上は右翼であり、民主社会党に属する吉野の左派路線に密かに反発していた。この反発を知った九州鎮台参謀部兵站課長 松本國香に煽られ波佐見江上飯塚が挙兵し、左派の小倉村中を殺害し吉野を捕縛しようとしたが、國香は初めから裏切っており、米軍内最左派トニー プラン陸軍砲兵中将と謀って吉野を担いで波佐見達を討った。しかし江上國香の誘導通り伊万里(いまり)県佐賀に逃げ込み、反乱を継続した。

 國香はクーデターを理由に実権を掌握したが、親吉野派を懐柔出来ず政争に突入。江上軍の反転攻勢の中、親吉野派の巻き返しによって國香は筑紫県大宰府政庁の会議室で白昼、大宰府守備隊の諫早利三少佐に撃たれて滅び、諫早を従えて吉野が実権を再掌握した。プラン中将は司令官からの追及を免れず自害し、佐賀の江上唐津の戦いで惜敗し傷が原因で死亡。

 五人衆は全滅して結果的に吉野の権力が高まり、九州鎮台は更に基盤を強化した。

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