2014年11月25日火曜日

草壁 錠

―狂い堕ちたシルバーバック―

 濡れ衣で収容所に入れられて家族を人体実験に供された過去を持つ将軍。白髪白髭に滲みだらけの皺ついた顔、戦傷で動かず引き摺る左足、拷問の痕である左手薬指と小指に身体中の火傷痕、アスベスト処理場での強制労働による肺病で荒れた呼吸、仮面を被っていた為の顔の白さ、そして共産主義者への壮絶なまでの敵視を支える極大な悪意と憎悪から「『輝く未来』が齎した怪物」として右翼からも嫌われる老将。

 元々自由主義者であり、熱烈な共和主義者だった。濡れ衣により妻子をモルモットにされ、苦しむ2人を介錯した過去があり、それ以外にも家族を害された為 天涯孤独である。日共の収容所から脱出後は反共組織に加わり多くを殺めたテロリストとなった。

 革命では反共勢力に属して各地の日共を殺し続けた。日共が倒れると軍内の熱烈な赤狩り賛同者として粛清に参加。甲信越での反共行動で虐殺を引き起こし「反動の乱殺者」と呼ばれた。共産主義者と見做した者を「テロリスト掃討」と大義名分をこじつけて海や河へ追い立てて溺死させる、収容者を餓死させる、女子供を廃船に押し込み船を自焼させ火から逃れて海で溺死するか火に炙られ焼死するかを狂奔の中選ばせる等 目に余る所業を繰り返した。草壁錠配下部隊は日共に弾圧され全てを失い軍に入った者が多く、殺戮に抵抗が無かった。

 乱暴狼藉の為 予備役に編入されても「イージス」(アイギス派)の顧問として反共に邁進。星川日基葉山遠野といった「転向者」を忌み嫌い、星川領侵攻の折は延焼に見せかけた焼き討ちで星川領を荒らし、日基を「アカ」と呼び蔑んだ。

 東京から九州へ派遣された際には将軍を多数失った吉野の指示で山口へ出兵し宇喜多軍と激突。輿に乗って戦いを指揮した。八月事変時には反葉山側に立って戦った。

 長年の経験故に戦いにおける駆け引きを理解している。また定期的に契約している暗殺者Tを以て共産主義者出身者の官僚等を暗殺している。

 星川停戦等の後に列島統一がなされると軍を致仕し数日後自宅で自殺した。その日は妻子の月命日だった。

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