2014年10月1日水曜日

トランスヨルダン王国

 西アジア、ヨルダン川沿岸のアラブ系イスラム王国。

 ヨルダン地溝帯(断層崖)が南北を縦断し、これに沿ってシリアからヨルダン川が南流し、地溝帯最低部(地球上で最低の水面)の死海に注ぐ。死海は海水よりも多くの塩分が濃縮されているため、生物が棲めない塩湖として知られる。

 紀元前2世紀にアラブ系ナバタイ人(ナバテア人)の王国が存在した。ヨルダン川やその西岸のベツレヘムは、『新約聖書』に謳われるメシアの聖地。ナバタイ王国は、2世紀にローマ帝国属州に併合されて滅亡した。

 その後、長くオスマン トルコ帝国の支配下にあったが、第一次大戦でトルコが敗北し、イスラエル地方と共にブリテン委任統治領パレスチナを構成した。折しもヘブライ人とアラブ人の双方が自民族の独立国家建設を要求していたため、英国はパレスチナ地方を東西に分割し、イスラエルをヘブライ人に、トランスヨルダンをアラブ人に譲渡する外交方針を採ったが、これが後にパレスチナ問題を引き起こした。アラブ人は英統治下でアンマンを首都するトランスヨルダン首長国を建て、第二次大戦後に王国として独立を達成した。
  • ナバタイ王国(-2C)
  • トランスヨルダン首長国(20C)
  • トランスヨルダン王国(現在)

 国民にはイスラエル建国に伴い移住して来たアラブ系パレスチナ人も多い。東エルサレムに至るヨルダン川西岸地区は、イスラエル・ヨルダン両国にとって譲れない場所であり、中東戦争で壮絶な争奪戦が繰り広げられた。現在は和平し、第三の選択肢としてイスラエルでもトランスヨルダンでもない「パレスチナ人」による「パレスチナ国家」を建てようとする運動もある。

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