2014年10月25日土曜日

潮田フローラ

 基督教神学者、日本民主共和国立大学教授。日本帝国の国教会にも所属している。

 「潮田」という苗字は、戦国時代に寿能城主を務めた潮田出羽守資忠(岩付城主 太田資正の子)に由来。家系を証明する史料が焼失しているため、歴史上の潮田家と血縁があるのかは不明だが、少なくとも本人はこの姓に強い矜持を抱いている。

 洗礼名「フローラ」(Flora)は、原義はローマ神話における花の女神で、転じて生物学では植物相を意味する(「フロラ」と縮めて発音する)。なお、類音のフローライト(fluorite)は「蛍石」という弗素カルシウム鉱物で、こちらは「流れる」というラテン語に由来。

 日共時代の埼玉県(後の北武蔵県)は、東京から左遷(当時の中共語では「下郷」とか「下放」と言う)された不良軍人・紅衛兵らの溜まり場と化していた。大宮コミューンも例外ではなく、治安が酷い代わりに政府の監視も緩かった。殊に、荒れ果てた武蔵国一宮神社の後背に埋もれている寿能城址遺跡は、人目を避けて潜伏するには絶好の場所であり、いつしか隠れキリシタン達の地下教会(catacomb)となっていた。その指導者が潮田フローラであったという。

 星川初が埼玉再建のため大宮に転封された際、彼女の右腕として思想警察を率いる扇谷定子(後の上杉橄欖)によって摘発され、容赦なき迫害を受け潮田以下一同皆殺しを覚悟する。しかし、季節外れのホタルが神秘的に大量発生するという奇跡の中で、潮田は血塗れになりながら一歩も退かず、敵である扇谷を憎む事もせず、ただただ彼女が人として正しき道を得るよう祈りを捧げた。この姿を見て扇谷は回心し、潮田に帰依して入信してしまう。更に、いずれ日共を乗っ取るつもりでいた星川からも信仰を黙認され、埼玉に根を張りつつあった軍官勢力(後の星川軍閥)から保護を受ける事に成功した。

  • 小田原征伐の時、寿能城は北条軍に従っていたため、豊臣軍(浅野長政本多忠勝)に攻撃され陥落した。ほとんどの武士は玉砕し、領民達もことごとく入水自殺したが、湖に宿る龍神の慈悲によってホタルに転生したという「見沼の蛍」伝承がある。
  • なお、星川の旧姓は「北条」であり、これを知った潮田は少なからず驚いた。これは後述の執権構想に連関する。

 それ以後は、扇谷の推挙を背に埼玉党の参謀となり、「星川教皇」を戴くキリシタン王国の実現を夢見て行動した。数百年に及ぶ迫害で教義が変質した十三宮家(もともと異端的傾向が強い)などとは異なり、日共政府が禁教するまで宗教法人として公認されていた近現代教会の系譜に属するため、西洋にも通用する比較的正統な信仰を守り抜いている。これは、官僚気質で物事を「正統・異端」に峻別したがる扇谷と分かり合えた理由の一つでもある。但し、文字があまり読めず聖書を口承で暗記していたり、男性なのに女神由来の洗礼名を称しているなど、日共の愚民化政策に影響されたと思しき面があるのも事実である。

 星川が讒言により失脚し、扇谷が小惑星衝突の予知夢を見るといった不穏な情況を察知すると、第二次大戦で寿能城に設置・遺棄されていた高射砲陣地を発掘。「私が殉教するのは構わないが、我々を救って下さったあなた方を死なせるわけにはいかない」と対空防衛の必要性を預言した…とは言っても、旧時代の対空火器を掘り出したところで何の役にも立たないはずだった。ところが、果たして大いなる天災が人類を襲うと、小惑星特有の電磁波に反応したのか、このガラクタ高射砲が突如として起動し、寿能城に落下して来た隕石を神々しく粉砕。その後の七月革命においては、日共に造反した星川を懲罰すべく大宮に来襲したミグ戦闘機を撃墜、更に第一次埼京戦争でも米軍の新型ステルス攻撃機ナイトホークを目視で追い払う(一説には撃墜したとも)など、アリエナイ活躍をしやがった。このため、「高射砲の潮田」「フローラ級高射砲」といった名誉だが本人は全く望んでいない称号が生まれてしまった。

  • この高射砲は、地対空ミサイルが多数配備された後も現役運用されており、寿能城難攻不落伝説の象徴として恐れられている。
  • 星川嫌いの落合航は、「俺に任せれば大宮を半日で陥落させてやる」と豪語する一方で、航空兵力の50パーセントを対空火器で損失すると予想している。どんだけ怖いんだよ。
 七月革命の結果、東京の親米派が日本帝国を、星川ら親中派が日本民主共和国をと別々の政府を樹立し、米中それぞれから国家承認を得たため、祖国分断は避けられない情勢となった。潮田と上杉橄欖は、天主の名において埼京が平和的に統一する可能性を見据え、折しも東京政府が進めていた「日本国教会」構想に参画し、政治的には帝国に服属していない星川人民も、宗教的には国教会の信徒として名前を登録する事ができる制度を採用させた。後に統一を実現する星川結は教会の養子であるから、結果的にはこの構想が役立った事になる。一方で、上杉が東京側の工作員だと疑われる要因にもなった。

 しかしながら、星川初は複数の男性と愛人関係を持ったり、現世利益的な多神教(偶像崇拝や快楽主義など)を好んで保護するなど、その生き様には天主の教えとの不整合が見られ、基督教を弾圧したがる中華ソビエト共和国との国交も考慮すると、彼女自身が入信するのは困難という現実があった。そこで潮田は、血統主義を強める星川が伊勢平氏や伊豆北条氏の末裔を称している点に着目し、表面的には日本帝国に帰順する代わりに、星川家が君主・宰相を補佐する名目で実権を握る役職(関白・征夷大将軍・執権など)を世襲するという統一案を唱えた。星川が神の如く個人崇拝される風潮において、この提言は「星川機関説」として非難を浴びるが、上杉の執り成しで処罰を免れ、実は星川自身も最終的にはこのような形での統一を望んでいたと思われる。

 筆禍後は、権力闘争を避けて大宮政界から距離を置き、主として河越(上杉の本領であり基督教化著しい)に居住。星川「国立」大学教授(宗教学・神学)として精神活動に専念したが、星川結の「御用掛」として道徳教育を担当させられる事もあり、君徳涵養に尽力した。星川初や浦和人脈も匙を投げるほど、反抗的な結に物事を教えるのは至難の業とされるが、潮田の聖書読み聞かせには興味を示し、「いい話だなあ」と素直に感心していたという(読み終わる頃には気持良さそうに寝落ちしているが)。

 穏和で寛容な西欧派インテリとして知られる一方で、苗字の通り武家にも造詣があり、文治派・武断派の双方から尊敬を集めた。星川初の死後、軍部が上杉派を一掃しようとした際、決起将校は潮田と遭遇しても銃口を向けられず、敬礼して立ち去ったため難を逃れた。両派の対立を調停し、坂東大乱の困難な情勢に対処し、最終的には教会に好意的な星川結の御聖断により、東京政府との統一に成功する。それは、天主が潮田フローラになされた預言を実現するためであった。

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