2013年11月29日金曜日

清水賢一郎

 日本最大級の財閥である清水グループの当主。地主出身だが常に労働者・農民寄りの立場を採り、出羽地方の住民から熱烈な支持を得ている。

 日共時代には、政府の計画経済に基づく食糧強制徴発に反対し、山形長谷堂城を拠点に、最上鳥海(神前寺鳥海)・太田愛(岩月愛)らと共に農民を率いて抵抗運動を行った。とりわけ、政権側の星川初率いる討伐軍に対して、前近代的な武器しか使えない圧倒的不利の状況下で持ち堪えた事実は、彼の人望と部下の有能さを物語っている。安積長盛のように、清水に感心して日共から寝返った者もいる。また、星川軍が総攻撃を始めようとした直後に隕石が落ちて和平に至るなど、幸運に助けられている面も大きい。

 七月革命に際しては出羽の守りを固め、日共軍・国民軍のいずれにも属さない第三勢力として中立を保ったが、日共滅亡後、太田愛を含む新生東京政府軍に包囲される。神前寺鳥海と太田の交渉の結果、光復帝雲母日女との会談が実現し、東京政府への帰順を決意した(出羽奉還)。

 その後、政府の支援や安積の提案もあって財界人として出世していくが、第二次埼京戦争(岩付城の戦い)の後方支援に従軍した結果、宿敵にして戦友である星川初と再び対峙する事になった。その際、東京軍本隊に見捨てられて孤立した太田愛への補給線死守に尽力し、東京・星川双方から義勇を讃えられた。この戦いの後、清水・星川両家の関係は融和に向かう。

 長女に清水夢有がいる。また、実の両親に捨てられた桐原愛美を保護し、事実上の養子とした。娘達に対する溺愛は並ではない。

 星川初の死後、内部の権力闘争によって自滅していく星川家に対しては、かつての敬意や愛想を失っており、東京政府が大宮に総攻撃を仕掛けた際には、家族や仲間達の未来を守るため東京に味方した。

「幸せは、生きて探すものだ」
「娘達の将来が懸かってるんだ。鳳龍…あんたの城、その踏み台にさせてもらうぞ!」
「出羽の黄金も、夢のまた夢だったな…夢有、愛美君が望んだ、幸せな人生を歩めよ…」

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