2014年8月5日火曜日

岩月太田愛

岩月愛
挺身巨砲

 星川軍浦和連隊副隊長・太田騎士団総帥、家政婦。通称「戦うメイドさん」。
 摂津源氏の一族である岩付太田氏の末裔。少年時代から日本人民共和国に抵抗するレジスタンスに参加し、摂津政景と共に太田騎士団と呼ばれる遊撃部隊を結成。七月革命では西宮堯彦の指揮下で日共軍と戦った。日本帝国を建国した国民軍が出羽地方に侵攻した際、光復帝雲母日女清水賢一郎(出羽農民一揆代表)の会談を実現させ、両者の武力衝突を回避した(出羽奉還)。その後、失脚した西宮に従って禍津日原に着任。

 関東では東京政府と星川軍閥が激しく敵対しており(埼京戦争)、彼女も騎士団を率いて星川軍と戦った。特に第二次埼京戦争「岩付城の戦い」(光復15年)では、限られた手勢で岩付城を陥落させるという実力を示した。だが、これは一時的な戦術上の勝利に過ぎず、大軍を投入して岩付を奪還しようとする星川の猛攻を前に、次第に苦戦を強いられる。更に、東京政府から内応を疑われて見捨てられ、補給線を断たれたため降伏を余儀なくされる。

 しかしその後、捕虜である自分とその部下を丁重に扱い、戦闘では常に犠牲を最小限に抑えるよう厳命していた星川初の人望に好感を抱き、そのまま星川軍の将校に転身する。その際、岩付城での活躍を記念して苗字を「太田」から「岩月」に変えた。ところが、今度は初から謀反の野心を疑われ、17年に「家出した娘を保護する」という任務を受けて星川結の捜索に向かったまま大宮への帰還を許されず、結と共に浦和の十三宮聖に保護される。その後、初から浦和連隊副隊長に任命され、太田騎士団は十三宮教会と表裏一体のミニ軍閥に改組された。

 結の筆頭家臣として、上野戦争(18年)・渋谷事変(20年)・八月事変(21年)などの緒戦に活躍した。そして光復23年(聖徳元年)には、クローン技術により盛岡県平泉で「復活」した滝山未来ら日共軍との最終決戦に臨んだ。

 主君に対しても言うべき事は申し、敵に対しても礼節を忘れない騎士道精神の塊。もともと誰かに命令されるのが好きな献身的性格(要するにマゾ)なので、星川初・結への忠誠は並々ならぬものがある。但し、星川親子の温厚な人柄に好意を抱いているのは確かだが、ひたすら無条件に服従しているわけではなく、主を思えばこそ箴言も忘れない。国際政治に対する岩月の本来の考えは親米保守(アメリカ連邦と協力して朝鮮・中共と対峙する)であるため、中華ソビエト共和国の威を借りて東京政府と張り合う星川家の姿勢には批判的である。東京と大宮の双方に顔が利く立場を利用し、両者の和解に努めている。

 軍人としての才能のみならず、平時の女中としても非常に有能であり、家事一般から殿方の夜のお供に至るまで、何もかも完璧である。血気盛んな軍人を慰安する遊女としての経験も豊富で、どんな男性でも満足させる事ができる。とても暑がりな体質で「寒い」という感覚を知らず、平時も有事もやたら肌の露出が多い格好をしている(しかも巨乳)。このため戦闘では、被弾ではなく鼻血で敗走する残念な敵兵が必ず発生する。それだけなら「戦わずして勝つ!」みたいな感じでまあいいかも知れないが、味方まで同じ事態になるから困る。

 重火器の使用が得意な火属性で、サルヴァドル(イスパニア語「救世主」)というアサルトライフルを愛用する。移動速度は遅いが、攻撃力・防御力は飛び抜けている。しかし、英米派を名乗る割には「総力戦体制」「人海戦術」などドイツ帝国や共産主義国でしか通用しないような20世紀の軍事理論で思考停止してしまう事があり(これは星川軍全体の問題でもある)、空軍派の十三宮勇から「時代遅れの帝国陸軍」などと陰口を言われている。

 メイドという立場上、結の親友(婚約者?)である十三宮を「ご主人様」と呼び、身も心も尽くしてご奉仕してくれる

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