2013年9月30日月曜日

七宝院七本槍

 学校裏サイトなどのBBSで使用される俗語で、七宝院学園に跋扈する7人の不良問題児の総称。

  一般的には、藤崎洸・高橋大吉・碇良太郎・海路道之・和智彰浩・阪東礼・安永たかしの7名を指す。但し、このうち安永(オカルト同好会)は他6人の武断派閥とは無関係で、むしろ敵対関係にあるが、たまたま彼らと同じ場所にいたのでその一味と誤解されてしまっただけである。よって、正確には安永を除いて「六人衆」などと呼ぶべきである。このほか、安永の代わりに地学部閥の瀬田椿か神前寺トキを含めて七本槍とする適当な説もある。

 事ある毎に校内・校外で様々なトラブルを起こし、教員達を悩ましているが、かといって無闇に学園から追い出せば、悪戯や喧嘩では済まない刑事事件の予備軍になる恐れもあるから、退学させるわけにもいかないという、まさに頭痛の種である。若いから仕方ないのかも知れないが、直情的で血気盛んな割には確たる信念がなく、興味本位で行動し、誘惑や煽動に乗せられ易い。このため、東京市内で発生する様々な事件に弥次馬もしくは「義勇軍」として駆け付ける事が多い。

 上杉橄欖暗殺未遂事件にも参加するが、その際、返り討ちにされて身柄を拘束され、上杉本人に罵倒されながら踏まれるというご褒美を与えられて快楽に目覚める。その後、被虐願望という新たなる愉悦の旅に出陣し、従来の先制攻撃路線を転換して誘い受けを狙うようになった。七本槍の綱領も「攻撃は最大の防御」から「受けは究極の攻め」に改正された。

 一貫して残念な青春を送り抜いた彼らだが、聖徳元(光復23)年3月の大宮決戦に際し、星川家と関係を持つ七宝院にも危機が迫ると、敵対する地学部閥などとも協力し、母校を守るために身命を惜しまず行動した。そして卒業後も、戦乱で荒廃した学園の再建に尽力し続けた。

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