2013年9月30日月曜日

喜多条誠

 七宝院職員。元来は星川初の古参家臣で、特に南武星河(亜紀)家に仕えた。

 本名は「北条真」だが、日共時代に星川が主家である北条一族を根絶やしにしようとした際に、改名を強要された。

 光復15年の第二次埼京戦争では、星河亜紀を指揮官に仰いで岩付城の南門「新曲輪」の防衛に参加。伝統的な塹壕戦で会津勢を撃退し、上杉橄欖の嫉妬を買う。

 亜紀を星川家の後継者に擁立しようと企図する「青薔薇党」の中心人物となり、部下の中には「結は初の実の子ではなく、亜紀が本当の嫡子である」といった流言を広める者もおり、「無能な」結を後継者にして操ろうと考えていた上杉や、結の大器晩成を期待する岩月愛と対立。

 17年の浦和騒動後、結・岩月が下野した事で一時的に勢力を伸ばすが、翌18年の上野戦争で亜紀が行方不明になったため失脚。上杉による暗殺を恐れ、秩父経由で甲斐に脱出し、七宝院を頼る。

 その後、生存が確認された亜紀に再び取り入り、自らも勤める事になった七宝院学園へ推薦入学させる。亜紀が校内で不良生徒らとトラブルを起こす度に、彼女を徹底的に擁護する立場を採り、喧嘩両成敗を主張する他の教職員らを抑えていた。また、海棠雄也を「偽善者」と罵ったり、なぜか自分の事を知っている樹下進に反射的な敵愾心を示すなど、尖った性格は教員室でも有名だった。

 22年と翌年に起きた上杉橄欖暗殺未遂事件(水晶の夜)は、表向きには「奸臣」上杉を討つ名目で始まったが、実際には星川家そのものに反感を抱く勢力も動いていた。このため、結・亜紀も襲撃を受け、彼女らを守護せんとした自らも重傷を負った。

 マゾヒストであり、自分が亜紀の捨て駒であるという事実に至高の喜びと誇りを感じている。なお、喜多条家は毛利氏の末裔であり、祖先と同様に「一文字に三つ星」の家紋を用いている。この三本矢マークはオリオン座に由来すると言われ、そのせいなのか、喜多条は天文学に造詣が深かった。これは亜紀にも影響を与えている。

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