2014年11月26日水曜日

江上護智斎

 かつては吉野菫の有力な武官であったが、後に叛逆した。本名は江上慶也(よしなり)。九州鎮台副官部の中で一番の戦上手。新任士官の時以来、軍の先頭にあろうとした。陸軍機甲兵中佐、佐賀反乱軍司令官。九州鎮台正統総督を自称。蓮池夏希の父親。

 反外国軍主導の意志を鮮明にしている。諫言を聴かない鎮台中央に憤慨し決起、波佐見達と共に小倉達を討ったが、プラン中将と國香に同志を討たれ伊万里(いまり)県佐賀に後退。この時 僧形にやつして逃げたのを期に出家、「江上護智斎」と名乗る。

 佐賀の鎮台側士官を討伐して軍団を吸収すると、國香の腹を利用して佐賀反乱軍を帝国内の「デ ファクト」とするべく、檄文を各地に発布し鎮台軍と交戦。筑紫県八女の優勢な鎮台軍へ自ら強襲を仕掛け粉砕、鎮台軍殲滅を為した(八女崩れ)。國香による専横を支える形となったが、猜疑心強く國香の服従を誓う密書を信じず、國香の暗殺で一時混乱した大宰府に迫ったが、対馬陶山聖尚(すやまとしなお)の率いる2000騎が後方に上陸して兵站を切り断ち、やむなく後退。糸島(いとしま)の戦いで「限りなく奇跡的な不幸」により鎮台軍に敗北。

 伊万里唐津肥前名護屋城)にて兵を立て直した江上は、追撃する吉野自身の軍を破り本人に迫るが、陶山と諫早の救援に阻まれ討ち損じた挙げ句、江上を支えて来た執行謙護(しぎょうけんご)が戦死し、陶山の戦闘団の突撃で江上が負傷し敗退。江上は傷付いてなお兵を鼓舞指揮して退却した。吉野側は甚大な被害を受けており逆襲を警戒したが、江上が無理をした為に傷が開き、致命傷となって先に果ててしまった。

 江上の子 幸夫は視力が殆ど無く、家に籠もり気味の「暗愚」とされ、カリスマを失った江上軍は崩壊していき、吉野の大軍が佐賀へ侵攻。盲目の幸夫は輿に担がれて迎撃、善戦し評判を払拭したが遂に敗れ、八女に落ちる最中 米軍の特殊部隊に襲われ自害。江上残党も揉み潰され反乱は収束した。

 江上は盲目で鬱ぎがちな倅と才ある娘を男手一つで育て、倅に夢を与えてやれる地位に挙がろうとし、軍にすり寄りさえしたが結局副官部の一人に留まった。これへの不満と次第に悪化する倅の身体を心配する親心に國香の付け入りを招いたが、それを利用さえした。最期の言葉は「幸夫にたれぞ光を」だった。

 八女には娘 夏希(後の蓮池夏希)が落ちた。娘は復讐を誓う。八女に居残っていた江上残党 勢福寺高雄に守られ、雌伏の時を過ごす。

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