2017年6月7日水曜日

屋代島攻防戦


 防予諸島の主島である屋代島は、周防大島とも呼ばれ、花崗岩が大部分を構成する地質の上層に、現在はミカン畑が広がっている。

 日本帝国とアメリカ連邦の混成部隊である九州連合軍は、畿内軍閥に奪還された屋代島への、再上陸作戦を決行した。この戦闘に参陣した同盟軍将兵の中で、現在まで記録が残っている人物としては、ケリー海兵大尉・ボイル海兵軍曹(兵曹)・ワイズマン陸軍大尉といったアメリカ軍人のほか、村中讃爾(むらなか さんじ)陸軍大尉という日本人の名前も見られる。

 これに対し、彼らを迎え撃つ畿内山陽軍守備隊には、「海軍中校」長船燎次(ながふね りょうじ)と、そして「顔無し」と呼ばれた狙撃手の存在が伝わる。

 達は、この戦争の記憶を後世に継承するべく、関係者への接触を試み、その重要な一人である、ケリー海兵大尉へのインタビューを実現する事に成功した。今回は、彼の証言に耳を傾けながら、屋代島攻防戦の実相に迫りたい。

池村ヒロイチ
ショーン ケリー海兵大尉


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