2014年8月25日月曜日

千々石リカルド

「主よ、救い給え」

 ブラジルから日本に帰って来た日系人。人民十字軍最右翼の「ジョアンの同輩」に監視役も兼ねて加盟している。

 殉教者ガスパール西の名を冠した精兵を率いる。天草襲撃の鎮撫や屋代島(周防大島)攻防戦にて多大な功績を挙げたが、「顔無し」との決着の折に重傷を負い、屋代島攻略を断念して敗走する宇喜多軍を見届け倒れ息絶えた。

 顔立ちは明らかに欧風であり、敬虔なカトリック教徒として戦闘前に祈りを捧げる姿がよく目撃されていた。より良き戦士たらんと努めた事から「ランヌの再来」と讃えられた。単身渡って来た日本にて布教に汗をかいたが、日共残党のゲリラに拉致された信徒を救出するために武器を取り戦った時 才覚を認められ、そして自身も信徒を守る力を欲したのを契機に軍隊に入った。日系人ゆえに差別される事もあったが、九州鎮台総督 吉野菫の働きかけも利いて次第に尊敬を得た。

 理知的だが、布教に情熱をかける一面もある。信徒の守護者として多大な功績を有するが、慎重な姿勢で異教徒に接するなど敵を作らない生き方をして来た。

 日系人としては三世だが日本語は話せる。但し聖書はラテン語で読み、怒りはルシタニア語で表す。日本への愛着はあるが、考え方や振る舞いはヨーロッパ人である。

 陸軍将官として吉野から信用されてはいるものの、彼女の姿や振る舞いには嫌悪を示す事もあり、関係は必ずしも良い訳ではない。小倉陥落・北九州への畿内側侵攻に伴い、大宰府を放棄して大野城に移ろうとした吉野に大宰府の堅持を求めて揉めさえした。

 江上慶也討伐にも従軍していたため、江上の面影を僅かに残す蓮池夏希を疑っていたが、屋代島で討死したため闇に葬られた。八月事変の一面となる「鎮西騒動」は防げなかった。

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