屋代島攻防戦は、九州鎮台・アメリカ連合軍の勝利に終わった。西海九州の枢軸、大宰府と博多湾を擁する筑前に私達が帰還した時、総司令部では陶山聖尚(すやま としなお)や諫早利三(いさはや としみつ)ら良識派将校の尽力で、既に「円卓会議」の準備が進められていた。6年前に勃発した「吉野五人衆(よしの ごにんしゅう)」達の内乱によって、九州軍は多くの優秀な人材を失い、今となっては吉野首相を積極的に支持する武官は、陶山将軍・諫早少佐・蓮池大尉など少数である。
円卓会議は、大島事変の「戦争責任」を巡って紛糾し、首相が辛うじて議長としての主導権を維持したのも束の間、今度は同島の防衛計画に焦点が定められた。
畿内軍閥の謀将、宇喜多清真が反撃の駒を動かすのは、もはや時間の問題であろう。山陰山陽地方には、長周を統治する山口の杉良運(すぎ よしつら)を始め、磐見の亀井無我(かめい むが)、出雲の浮田郷家(うきた さといえ)ら諸将が続々と布陣し、殊に葡萄月大隊を指揮する松田清保(まつだ きよやす)の戦力は強大である。また、畿内軍は中華ソビエト共和国(北平共産党政権)などから軍事支援を受けており、彼らにも警戒する必要がある。屋代島を守備する一方で、九州勢の次なる攻略目標は、隠岐島と馬関・下関港に絞り込まれた。
そして、「葡萄月」が最期の戦線に誉(ほまれ)を遺さんとする頃、とある神官による和平工作の報せが届いた…。
第四話「九州 円卓」
- 原作:八幡景綱
- 編集:十三宮顕
「円卓の騎士は物語の作者、登場人物であると同時に聴衆となる」
(国際大百科事典)
吉野菫 |
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