2017年6月7日水曜日

神戸福原


 屋代島の戦いより二十年以上前、当時の日本列島は、共産主義独裁政権の日本人民共和国に支配されていた。それゆえ、日本人にしてイスラム(Islam)教徒たる宇喜多清真(うきた きよざね)は、迫害を逃れ、中東のアラビア帝国(Arabia)で亡命生活を送っていた。

 宇喜多氏と言えば、かつては毛利氏や尼子氏と並ぶ山陰山陽の戦国大名であり、関ヶ原にも参陣している。

 そんな武門の末裔と語られる清真のもとに、トランスヨルダン王国(Transjordan)からの同志が、幾つかの重要情報を伴って訪ねて来た。その一つは、日本の出羽地方において、独裁政権に対する頑強な抵抗が勃発し始めているという事。そしてもう一つは、こうした混乱に乗じて、とある傭兵の人脈を借り、マラッカ(Malacca)経由で日本に密航し、磐見(いわみ)浜田に上陸するという計画であった。

 この宇喜多清真こそが、後に畿内軍閥の中国地方司令官として、瀬戸内海を挟んだ九州に展開する達に対し、数多の謀略戦を仕掛けて来る事になるのである。今や広大な山陰山陽道を統治するに至った彼は現在、古くは平清盛の都であった神戸福原(ふくはら)に拠点を置いている。今回は、そんな強大なる敵将の伝記を読誦したいと思う。

或葉緯人
宇喜多清真


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