2015年9月9日水曜日

『Planet Blue macrocosm』第1節「七月革命」

依央りせ
戦争と革命の20世紀後半、日本列島は独裁政権「日本人民共和国」の過酷な支配下にあった。
池村ヒロイチ
小惑星衝突という大災害により人類文明は大打撃を受け、それは「石の魔女」の仕業だと言い伝えられた。
まころ
政権崩壊後の内戦により孤児となった幼き十三宮は、隠れキリシタン末裔の十三宮聖と出会う…。



十三宮仁(とさみや めぐみ)
「懐かしいなあ…三人で一緒に、神様に誓ったんだよね!
これからも、死んだ後も、ずーっと仲良しでいますって」

星川結
「なんか、あたいら三人で結婚式でもやってるような感じだったよなw」

日が暮れゆく御沼(みぬま)の景観を背に、私達三人の、中等学校での生活は無事に終わった。
そして、その後の進学先での日々も、きっと素敵なものになるはずだった。

十三宮聖(ひじり)
「世は絶えず無常なるもの。あの幸せも永遠には続かないと、初めから分かっていました…
それでも、人の想いは現の夢を越えて存在し続けると、今はそう信じたいのです」

彼女はそう言って眼前に広がる青空に祈りを捧げ、物語は幕を開ける。
内憂外患、激動する世界。
時代と対峙する人の心。
太陽系第三惑星、地球。
大陸の東端に位置する、四海と山林に包まれた弧状列島。
偶然か必然か、この地に生を受けた者達。
本書は、あの日のクレーターに集う人々の心の物語を、
小宇宙(ミクロコスモス)と大宇宙(マクロコスモス)との狭間に描いた物である。

かつてこの国が、「殺戮の大地」と化した時代があった。
未来30年、日本人民共和国関東省「外東京コミューン」。

葉山円明(えんめい)
「ふう…終わった」

大間木美野波(おおまぎ みのは)
「葉山君、また『首狩り』をしてたの?」

葉山円明
「美野波、来てくれたんだ。ほら見て!今日も沢山、悪者をやっつけたよ」

大人しそうな顔にも動揺の色が見え隠れする少女を前に、この惨劇の張本人、
赤いマフラーを着けた少年は誇らしげに語る。

葉山円明
「こいつら地主は、罪のない農民を、無理矢理働かせて、
しかも彼らが作った物を搾取しているんだ。
この国にまだ、こんな悪い人達がいるなんて、許せないよね。だから僕が皆殺しにしてやったんだ」

大間木美野波
「そ…そうなんだ」

葉山円明
「今日殺したのは66人,また新記録だよ!きっと樹下同志に褒めてもらえるだろうな。
美野波もそう思うでしょ?」

大間木美野波
「それで、葉山君が喜んでくれるなら…」

葉山円明
「でも、僕らの敵は強大なんだ。
海の向こうの『米帝』って国にはね、もっと邪悪な資本家共がいるんだって。
だからね、樹下同志や遠野隊長がそいつらを丸ごとやっつけるために、
とっても大きな兵器を造ってるんだよ!」

大間木美野波
「それって一体、どんな物なの?」

葉山円明
「僕も、詳しい事は知らないけど、『イザナミ』って名前らしいよ。なんか、かっこ良さそうだよね!」

大間木美野波
「そうだね」

葉山円明
「ところで美野波、一つ…約束して欲しい事が、あるんだけど」

大間木美野波
「なーに?」

葉山円明
「僕は、弱い人達を守るために、一生懸命戦い続ける。
そしていつか、樹下同志や遠野隊長と一緒に、米帝の資本家共をやっつける。
でも、もし僕が正義を忘れて、この地主共みたいな人間になっちゃったら、その時は…」

大間木美野波
「その時は?」

葉山円明
「僕を、殺してくれないかな?」

大間木美野波
「葉山君がそう言うなら、分かったよ。ほかには?」

葉山円明
「それだけだよ」

大間木美野波
「ねえ葉山君、私達友達なんだから、私も葉山君と、一つ約束していい?」

葉山円明
「もちろん。どんな約束?」

大間木美野波
「もし葉山君が、戦い続けて立派な大人になったら、私がお嫁さんになってあげるよ」

葉山円明
「え?」

大間木美野波
「駄目かな?」

葉山円明
「分かった。君が言うならそうするよ」

大間木美野波
「ありがとう。楽しみだな、葉山君との結婚式」

葉山円明
「結婚なんて単なる人民同士の法的契約だよ。それをありがたがるのは上部構造の洗脳さ。
でも、君とだったら…」

大間木美野波
「葉山君って、本当に面白いね。
ところで、もうすぐご飯だし、人民学校に戻ったほうがいいんじゃない?」

葉山円明
「ああ、そろそろ配給の時間だね」

大間木美野波
「ええ。きっと天河君や布施朋君が、私達を探してるよ。間宮君は、今日はお休みだっけ?」

葉山円明
「給食当番は確か、あの海棠とかいう奴だったっけ?またサボってたら、今度こそ斬首してやる!」

大間木美野波
「怖い事を言うんだから。でも、やっぱり友達っていいよね」

葉山円明
「いや、僕には、君さえいてくれれば、それで充分だよ」

大間木美野波
「どうして?」

葉山円明
「クラスの人達は僕の事を委員長って呼んでるけど、本当は死神だって陰口言ってるんでしょ?
それくらい知ってるよ。僕はただ、党のために一生懸命戦ってるだけなのに。
こんなにも正しいのに、こんなにも頑張ってるのに、殺しても殺しても、周りの人達は僕から離れていく。でも君は、いつも僕の傍にいてくれる。それが凄く嬉しいんだ」

大間木美野波
「葉山君…」

死屍累々を眼前に、平凡なのか薄情なのか狂気なのかすら分からない会話。
それがこの国の、少なくても彼らにとっての日常だった。

さて、語るべき時が訪れたようだ。
物語は、戦争と革命の20世紀、その終わりから始まる。
日本人民共和国(日共)は、ユーラシア大陸の極東、日本列島を統治する共産主義国家である。
共産主義とは、労働者の党が独裁政治を行い、経済を計画的に運営する事で、
貧富の格差がない、理想的ユートピア社会を造ろうとする思想だ。
しかし現実には、国民の権利が大幅に制限され、党を批判する者は徹底的に弾圧された。
政府は労働者を守る「正義の味方」だから、これに逆らう事も、
足手まといになる事も許されないのである。

依央りせ

日共はその支配が特に厳しく、「紅衛兵」と呼ばれる残虐な少年兵によって、
多くの人々が「人民の敵」として逮捕され、まともな裁判を行う事もなく惨殺された。
更に、「計画経済」とは名ばかりの非科学的な農工政策が行われ、
せっかく出来上がった食糧・製品は「富を平等に再分配するため」という名目で国家権力に強制徴発され、大量の餓死者が発生していた。
当時、世界を代表する共産主義国家であったロシアと中華ソビエト共和国(中共)では、
市場経済の導入によって、体制を建て直す改革が行われていた。
日共もこれらの国々に倣い、人民解放軍の遠野衛(えい)や、
農務人民委員部の星川初(うい)ら右派が、改革政策を進めていた。
一方、技術官僚として計画経済を担う樹下進ら左派はこれに猛反発し、改革の是非を巡って、
党内で壮絶な権力闘争が行われていた。

ここは日共の政府中枢、東京城。
かつて「江戸城」や「皇居」と呼ばれていた建物である。

遠野衛
「星川よ。お前の尽力については、大元帥も高く評価されている」

滝山未来(みき)
「…星川さん…頑張ってるね…」

星川初
「勿体なきお言葉にございます」

滝山未来
「…これからも…みんなのために…尽くしてね…」

星川初
「当然です。人民のため、共和国のため、そして主席閣下のため、今後とも全力を尽くす所存」

日共の国家元首である主席(大元帥)は、戦前の天皇制を模倣したシステムであり、
形式的には絶大な権力を有しているが、
それらは党員・軍人・官僚といった有力者の合議を踏まえて行使される。
要するに、この国で出世を目指し、政治を動かそうとするには、
主席であるこの滝山未来の機嫌を取る必要がある。

星川初
「遠野司令官、武州鉄道の着工は順調に進んでおります。遅くとも、今年中には開通できるかと」

遠野衛
「そうか。農業生産も着実に上昇している。やはりお前を選んで正解だった。
しかし問題は白衣派だ。各地の紅衛兵を煽動し『走資派』と見なした者を抹殺していると聞く」

星川初
「中国モデルの有用性を、ここ関東省にて証明できれば、白衣派も黙らざるを得ないでしょう。
市場経済の発展なくしては、社会主義の建設もままなりません。
経済力に支えられた軍事力を以て、日中両国が世界革命の枢軸となり、
来たるべき米帝との決戦において、人民を勝利に導きます」

遠野衛
「軍では現在、権力の統制を強化すべく大元帥を補佐する『総書記』の新設に向けて話を進めている。実現した折には、ぜひともお前を推薦したい」

星川初
「私如きには、身に余る重責です」

遠野衛
「我が党が中心となって上意下達・下意上達の理想的共同体を建設するためには、
お前の助力が必要だ。そしてそれは、お前の父や夫が望んだ事でもあろう?」

星川初
「…はい」

遠野衛
「その手を血に染めてまで党への忠誠を誓ったお前を、どうして疎かにできようか。
犠牲を無駄にはしない、必ず」

星川初
「司令官の想い、確かに受け取りました」

このように、当時の日共政府では、政治的には一党独裁を維持しつつ、経済活動を部分的に自由化するという、中共型の「社会主義市場経済」が、実験的に施行されていた。
その主導者が、親中派として知られる星川委員長である。

星川委員長は主として埼玉県に自らの基盤を築いており、「星川」という苗字も、
北埼玉を流れる河川に由来する。
そして、大宮コミューンにある「寿能(じゅのう)城」という戦国城址遺跡が、彼女の官邸である。

扇谷(おうぎがやつ)橄欖
「委員長、お帰りなさいませ」

星川初
「そんなに畏まらなくてもいいのよ、橄欖」

星川委員長の親友にして右腕である扇谷(上杉)橄欖は、
宗教の迫害など反体制派弾圧で名を揚げた公安委員だが、実は彼女自身も、
潮田(うしおだ)フローラの伝道で天主教を受洗したキリシタンである。
日共の権力に取り入って地位を固め、
最終的にその体制を内部から奪取する…それが星川グループの目的であった。

扇谷橄欖
「それで、情況は如何に?雰囲気から察するに、良好かと思われますが」

星川初
「ええ。主席閣下もご理解下さっているし、このまま司令官が事を進めてくれれば、
総書記の座も夢じゃないわ。後は進ちゃんさえ片付ければ、天下は私達の思うがままよ」

扇谷橄欖
「この受難の時代を生き残るため、あなた様はお父上を、
そして私は多くの同胞信徒を殺めました。
生きて贖罪を成し遂げる方法があるとすれば、
この忌まわしきバベルの塔…日共政権を破壊するほかありません」

陽には紅衛兵を率いて「理性の崇拝」を進めつつ、
陰には日共滅亡という福音の日を待ち続ける扇谷委員。
彼女の悔い改めは、己の心を入れ換えるだけでは成就し得ない。

星川初
「ここまで上り詰めるまで、本当に長い戦いだったわ。後もう少しよ…」

だが…こうした動きを、政敵の左派が黙って見過ごすはずはなかった。
彼らは星川委員長を失脚させ、これを擁護する遠野司令官を牽制すべく、
次の一手を打ったのである。

遠野衛
「馬鹿な、ありえない!大元帥、どうか再考を!」

滝山未来
「…証拠も…あるって…進が…言ってた…」

遠野衛
「これは我が党を分裂させるための讒言に間違いない!」

滝山未来
「…衛…あなたも…未来を…裏切るの…?」

遠野衛
「そ…そのような事は、断じてない!」

星川初
「主席閣下・遠野司令官、お呼びでしょうか?」

遠野衛
「星川、言いにくい事なのだが…お前の解任が決まった」

星川初
「…どういう事です?」

滝山未来
「…星川さん…未来を…騙したの…?」

遠野衛
「情報によればお前は米帝に亡命した日基建と未だに連絡があり、山形県の地主らと共謀し、
『CIA』の支援下に反動クーデターを準備しているとの事だが…」

星川初
「事実無根です!一体誰が、そのような出鱈目を?」

遠野衛
「自分とて、お前を信用したい。だが、このままでは示しが付かない…」

星川初
「分かりました。それでしたら、党への忠誠に二心なき事を、行動にてお示し致します。
主席閣下、どうすれば私を信じて下さいますか?」

滝山未来
「…じゃあ…出羽の…国を…燃やして…」

遠野衛
「先述の通り、お前への疑義の一つは、山形との関係だ。
ゆえに、それを晴らす近道は一つしかない」

滝山未来
「…出羽の…人達は…未来を…怖がってるの…だから…皆殺し…」

星川初
「畏まりました!出羽の地主と豪農共を、奴らの巣窟ごと焔に沈めて参ります!」

遠野衛
「作戦には大宮旅団を動員するほか、自分の隊から高瀬川航二郎と田中正弘を派遣する。
完遂の折には、速やかにお前を再任し、改革開放を再開する。今は、耐えてくれ…」

星川初
「承知!」

樹下委員長を始めとする左派は、星川委員長に反乱の疑いがあると主張し、
滝山主席と遠野司令官に圧力をかけた。
こうして、星川委員長は人民公社の要職を解かれ、疑いが晴れるまでの間、大宮旅団に徴兵召集され、東北省に追いやられる事となった。

日本列島が政争に明け暮れている頃、世界情勢は冷戦終結へと向かいつつあり、
特にロシアを始めとする東欧諸国の人々は、自由で民主的な新時代の待望に心躍らせていた。
だが…その一方で、「超常現象は迷信であり存在しない」というロシア政府の公式見解など耳には届かず、遠くない未来に大いなる不安を直感する者達もいた。

『ウィッチ・オブ・ストーン』
星が綺麗な夜は、反吐が出る。
胸糞悪いと言えばその通りではあるし、厳かに死者に祈る日と言えばその通りでもある。
あの日も今日のように澄んだ夜空だった。
数日続いたミチェーリ(吹雪)も止み、
デェガーブリ(十二月)とは思えない星空が天に広がっていた。
きっと私の故郷は平穏そのものだったことだろう。
それぞれの家では暖炉が温もりを育て、ピロシキとボルシチでお腹を満たし、
ベッドで穏やかな夢の世界を見ていたに違いない。
もっとも、それももう儚い幻想に成り果ててしまったが。
『デェガーブリの悪夢』
私の故郷は、ある日死に果てて滅びた。
男女関係なく、老人子供に至るまで。飼われていたペット一匹さえも、命を保ってはいなかった。
しかもただ殺されたのではない。あまりにも猟奇的に、異質な殺され方をしていたのだ。
あるものは青い水晶に心臓を貫かれ、あるものは顔を水晶で包まれて窒息し、またあるものは頭蓋骨の中身の半分以上を無理やり詰め込んだかのような水晶の塊に潰されて死んでいた。
一夜にして街の住民皆殺しとなったその事件は、
ロシア史上最悪の殺人事件として犯罪史に刻まれている。
ただ一人、私だけが外国にいたために生き延びた。親類縁者、全てを失って。
その事件のたった一つの目撃情報は、辺鄙な山小屋に住む一人の老人のものだった。
『不気味に青白く光る女を見た』
私は誓った。殺された故郷の皆の敵をとるのだと。
姿も知れない魔女をこの手で打ち滅ぼすのだと。
そのたった一つの目撃情報から、ロシア史上最悪の犯罪者はこう呼ばれることになった。
『石の魔女』と。

数日続いた荒れ模様の天気も回復し、
澄んだ空気がまるでその場を体現するかのようにピリリとしている。
世界の平穏と均衡を保つ、国際機関ICPC。
その本部でこの日、重要極まりない発表があった。
その発表を待つ会議場の人々は、それぞれ落ち着かないようにそわそわとしていた。
否、ピリピリとしていたというべきだろうか。
何しろ今日の発表は、決して良いものではないのだから。

国際刑事警察委員会
「皆様、お待たせ致しました」

ほんの少しざわつき始めていた会議場に、静かな声が響いた。
その声に気圧されるように、会議場がシンと静まりかえる。
声を発したのは極々普通のサラリーマンのような印象を受ける、
特に強烈な印象を受ける事もない平凡な中肉中背の男性だった。
彼はつかつかと数枚の書類を手に壇上へと歩を進めた。

国際刑事警察委員会
「本日はお忙しい中お集まり頂きありがとうございます。早速ですが、本題に入りたいと思います」

淡々と述べられていく言葉に、会議場の出席者から声が上がる。

国際刑事警察委員会
「ちょっと待ちたまえ。まずは確認させてほしい。本当に、あの魔女が再び現れたというのかね?」

国際刑事警察委員会
「正直なところ、誤報なのではないかという疑念が強いですな。
なにせロクな目撃情報の一つもないのだから」

国際刑事警察委員会
「もう四年も姿を現していないではないか。すでに死んでいるのではないか?」

どこの誰が言ったかもしれない言葉に、是を唱える声が会議場に広がっていく。
彼らは怖いのだろう。
あの悪夢を現実のものとした魔女が、再び現れたかもしれないという事実が。
だから自分の望んでいる方向に話を向けようとする。
目の前にある事実から目を背けて。
そんな彼らの姿は、平凡な男に低い声を出させるには充分過ぎるほどに醜悪だった。

国際刑事警察委員会
「黙れ」

静かな、静かな言葉が男の口から重く吐き出された。
今度こそ、会議場は声に気圧されてその喧騒を鎮火させた。

国際刑事警察委員会
「あなた達が一つ言葉を吐くたびに、世界が危険に晒されている事を忘れないで下さい。
今あなた達がするべき事は、現実から目を背ける事じゃない。
その程度にしか使えない目玉なら、くりぬいて代わりに目玉焼きでも突っ込んでおくといい。
ただ僕の言葉に、耳を傾けて下さい。それ以外は、必要ない」

淡々と放たれた言葉は言い方こそ柔らかな口調ではあったが、
同時に眉間に銃口を突きつけられたような圧迫感があった。
会議場の全員が押し黙ったことを確認して、男は手元の書類を見ながら話し始めた。

国際刑事警察委員会
「事の起こりは四年前。
通称『石の魔女』が引き起こしたロシア史上最悪の殺人事件『デェガーブリの悪夢』。
その残虐性と特異性はここにいる皆様ならご理解頂いていると思いますが、
その後ぱったりと足取りを掴めなくなっていた『石の魔女』が、
つい一週間前に再び活動を再開させている事が確認されました」

ざわざわと会議場がざわつくが、彼はそのまま言葉を続けた。

国際刑事警察委員会
「確認されたのは、ロシア北西部の山岳地帯です。山岳地帯で訓練を積んでいたロシア軍レニングラード特殊部隊の一人が、訓練中に部隊とはぐれた際に遭遇。
その隊員が『石の魔女』によって殺害されました」

彼が壇上のボタンを操作すると、一枚の写真が背後のスクリーンに映し出された。
その写真には、何本もの水晶の杭が体に突き刺さっている軍人が写っていた。
あまりにも生々しい写真のせいか、会議場のあちらこちらで息を飲む音が聞こえた。

国際刑事警察委員会
「殺害方法と状況から、我々ICPCはこの殺人事件を『石の魔女』の仕業であると断定しました。
また、ロシア軍の精鋭部隊の人間をこうも容易く殺害する力を持つ『石の魔女』を、
世界の平穏と均衡を保つ上で看過する事はできません」

いったん言葉を区切ると、彼は再び壇上のボタンを操作した。
プシュッという音とともに会議場のドアが開くと、ゆっくりと五人の人間が壇上へと近づいて行った。

国際刑事警察委員会
「そこで我々ICPCは、独自の専門チームを結成し『石の魔女』を打倒するべく動く事を決定しました。この五人が、そのメンバーです。
まず、『石の魔女対策チーム』室長、『バナスティアス・マーリッド』」

名を呼ばれた女性が、スッと一歩前に出た。
背の高い、まるでモデルのような体形をした美女ではあるが、
いかんせん苦虫を噛み潰したような表情をしていて少し怖い印象を受ける。

国際刑事警察委員会
「副長『ラモン・リンドレイダ』」

次に名を呼ばれた男は、サングラスとアフロヘア―がよく似合うファンキーな黒人だった。
国際機関というよりカジノかバーにでもいそうな雰囲気だ。

国際刑事警察委員会
「後方情報担当『アマンダ・エル・フィリップレイン』」

その次が、まだ二十代前半であろうと思われる若い女性だった。
生真面目そうな顔をしているものの、大層な場に出てしまっていることからか表情が大変に堅い。

国際刑事警察委員会
「解析官『雅・リッヒシュテルン・土御門』」

次も若い女性だったが、こちらは緊張など微塵も感じていないかのように飄々としていた。
日本でいうOLのようなスーツを着こなし、眼鏡の奥では黒真珠のような瞳が深い光を魅せていた。

池村ヒロイチ

国際刑事警察委員会
「そして、捜査官『キリュウ・ジャスティ・パステルナーク』」

最後の一人。
それはどう見ても女の子にしか見えない容姿をしていた。
華奢な体つきに雪のような肌。子供が無理して大人の服を着ているような印象しか受けない。
しかし、その瞳には燃えるような揺らめきが奥底に光っている。
この場の何人が気づけただろう。
彼女、否。彼こそが『デェガーブリの悪夢』の唯一の生き残りである事に。
燃え盛る激情の炎に身を焦がす、復讐者であることに。

国際刑事警察委員会
「この五名こそが、我々ICPCの誇る最高にして最優のチームであると確信しています。
そして、必ずや『石の魔女』を打倒してくれるという事も」

男の―――ICPC長官の言葉が会議場に響く中、復讐者―――キリュウは静かに拳を握りしめた。

――必ず俺が『石の魔女』を…『異能力者』を叩き潰す!

燃え盛る激情を脳裏に揺らめかせて、後の英雄―――キリュウ・J・パステルナークはこの日、
一つの『世界』を相手取る宿命を背負った。

この頃、後に「星川軍」とも呼ばれる大宮旅団は、埼玉県から栃木・福島県を抜け、
山形県への進軍途上にあった。
出羽地方では、清水賢一郎を指導者とする農民達が、権力の食糧収奪に反対して頑強な抵抗運動を続けており、山形県主席の安積長盛も密かに彼らを支援していた。
その鎮圧へと向かう大宮旅団の陣中に、若き星川初の姿があった。
星川大尉は、文民出身の青年将校という軍制上は低い地位にありながら、
以前から行っていた多数派工作で軍人達の信任を得、遂には旅団長の赤山御影(みかげ)を謀殺し、大宮旅団を自在に動かすほどの実力者となりつつあった。

星川初
「農は国の本。無差別砲撃だなんて、正気の沙汰じゃないわ…どうにかして、
事態を穏便に済ませないと…」

扇谷橄欖
「簡単な事にございます。これまでと同様に、外見は殲滅の形を取りつつ、
誰もいない荒れ地を狙えば良いのです」

星川初
「父を殺し、夫を殺し、民を殺し…一体あと何人の死を背負えばいいのかしら、
私という人間は…?」

扇谷橄欖
「委員長、弱音をお吐きになる暇がございましたら、人の話を聴いて頂けませんか?」

星川初
「あら、ごめんなさいね。具体案を考えましょう」

扇谷橄欖
「二つほど、お伝えする事がございます。まず一つ、中国の徐秀全様より令状が届いております」

星川初
「秀ちゃんからね。何の用かしら?」

中共の視察経験を有し、同国で進められている改革を日本に輸入した星川大尉は、
紅軍(中共軍)の対日工作機関を率いる徐秀全と親交があった。
アジアの大国を目指す中共は、その「朝貢国」である日本の力を最大限に引き出して利用すべく、日共に対して度々の指導を行って来た。
しかし、農政官僚を失脚した星川大尉に向けて、わざわざ内容を暗号化した物を送るとは、
どうも不自然だ。
果たして解読が完了すると、そこにはこう記されていた。

徐秀全
「我が国に倣った改革開放政策の導入に尽力して来た星川公が、あろう事か匪賊討伐軍に左遷されたと聞く。文革の亡霊が跳梁跋扈する倭国は、最早死に体と言うほかない。
加えて、下記の国際機関より入手した情報によると…」

星川初
「…」

読み進めるに連れて、表情を険しくする星川大尉。
追い討ちするように、扇谷委員が口を開く。

扇谷橄欖
「何が書かれているのかは存じませんが、そろそろ二つ目の話をしても宜しいでしょうか?」

星川初
「何かしら?」

扇谷橄欖
「今朝『魔女』が坤輿(地球)を呑み込む夢を見ました」

星川初
「…!」

扇谷橄欖
「申し訳ございません。わざわざ報告する事でもないのですが、あまりにも不気味で、それでいて、迫真性がありましたので、何かの神託かも知れないと思い、念のため…」

その言葉を聴いた瞬間、星川大尉の表情は動揺から確信に変わった。

星川初
「橄欖、山形に向かいがてら、海路を押さえる事はできるかしら?」

扇谷橄欖
「ここからでしたら、新潟方面が早いかと思います。目的は?」

星川初
「武器の密輸ルートを確保するのよ。これから忙しくなるわ…」

そして、「その時」…。

須崎グラティア
「さーてと、党のお偉いさん達から大金ぼったくれたし、当面の生活には困らないわね~♪」

静岡県伊豆半島は、迫害から逃れる隠れキリシタンの拠点となっていた。
その中に二人の幼女を連れた、修道女らしき人物がいた。
彼女はしばらく陽気な顔で空を眺めていたが、ある定刻を迎えた刹那、
それは鋭い視線に豹変した。

須崎グラティア
「聖様・勇様、よーくご覧下さい。これが、原罪を忘れた人類の行く末です」
「しかし、これは決して終わりではありません。千年王国は未だ遠く、
貴女方は箱船に乗って生き延び、新たな世を導くのです…」

未来30年メシドール(6月)凶日、贖罪の時は訪れた。

滝山未来
「…ああ…永かった…やっと…終わる…眠れるんだね…」

小惑星「マガツヒノカミ」、地球衝突。
人類は存亡の危機に晒された。
世界各国の天文学者は、この一大災害の予知に失敗するという大失態を犯した。
米露両国は、敵軍に核ミサイルを撃ち込む技術、あるいはそれを撃ち落とす技術を転用し、
小惑星への迎撃を開始。
日本人民共和国も、北太平洋に建造中だった巨大海上要塞「イザナミ」に配備された「対小惑星隕石砲」を使って、この悪夢に挑んだ。
だが、小惑星を破壊する事はできても、その破片が地上に降り注ぐのを止める事はできず、
しかも分裂した隕石は、互いの重力で衝突合体し、人類への「反撃」を開始した。
まるで、何らかの意志が宿っているかのように…その矛先は、
ほかならぬ日本にも向けられていたのである。

空が血の色に染まる。
「石の魔女」が嗤う。
人々の悲鳴がその「声」に、存在ごと呑み込まれて逝く。
神話が現実になった瞬間…今ここに一つの時代が終わり、しかし休む間もなく、
新たな時代が幕を開いた。

星川軍は山形県への攻撃を開始したものの、
反乱軍の参謀である神前寺鳥海(ちょうかい)の巧みな兵法によって、戦線は膠着していた。
しかしこれは、星川大尉にとって予想通りの、そして望ましい展開であった。

星川初
「正夢って恐ろしいわね、橄欖」

扇谷橄欖
「いえいえ。私が申し上げずとも、徐様が教えて下さったのですから」

星川初
「全軍に告ぐ!我らはこれより、兵を引き返し東京に向かう!」

全ての準備は、整った。
赤山旅団長は既に亡く、隕石の豪雨に動揺する将兵達は、今や当てにならない日共高官よりも、カリスマ性に長ける星川大尉こそを自らの指導者と認識しつつある。

星川初
「私は今まで、あらゆる屈辱に耐え、日本人民共和国への忠誠を貫いて来たわ。
それはこの国の人民のため、そして私の国造りを支えてくれた、ここにいる皆のためよ」
「けれど、政権は血にまみれた私達の努力を蔑ろにして、その矛盾を、
罪なき者達の犠牲で贖おうとしているわ!」
「この空を見ての通り、今世界を覆っているのは大いなる破滅。でも、滅ぶべきは私達じゃない!日共政権そのものよ!」
「私達、日本人民解放軍大宮旅団は今この時より、『日本民主共和国軍』と名を改める!総大将は私がやるわ。目的はただ一つ、首都制圧よ!敵は…東京城にあり!」

ここに、星川大尉を臨時最高指揮官とする独立勢力「日本民主共和国」が建国された。
星川軍は出羽農民一揆と和睦し、滝山主席を「奸臣」から救出するという名目で、
驚異的な速度で南下を開始した。
以前から星川大尉の人格に好感を抱いていた大宮旅団将兵だけでなく、
監視役であるはずの派遣将校までもが、彼女に従った。

扇谷橄欖
「お待ちしておりました…遂に、その時が来たのですね」

時を同じくして、この天災を機に、日本各地で反体制派が次々と決起した。

雲母日女(きらひめ)
「堯彦、よくぞ生きていて下さいましたね。予とそなたの徳が一つになれば、
必ずやこの『世紀末』を乗り越える事ができるはずです。共に、父上のもとへ参りましょう!」

西宮堯彦
「姉上こそ、御無事で何よりだ。此れより我等は、東京城内に突入し、
父なる元化天皇をお救い申し上げる!智子・清継・愛、往くぞ!」

室町智子
「藤原摂関家一門、何処までも堯彦様にお供致しますよ」

太田愛
「誇り高き祖国を、失われた自由を取り戻しましょう!」

山梨県では、旧日本最後の天皇である元化天皇の皇太子、西宮堯彦が右翼勢力を率いて挙兵、姉君の雲母日女内親王とも合流し、東京への侵攻を開始した。

馬坂(まさか)佐渡
「あら~、精子みたいにたくさんの星が流れてるわね~。初ちゃんも出羽からピストンして来たみたい。お父さん、私達も倦怠してないで~、そろそろ腰を動かしましょ~」

近衛和泉
「この災い…言霊の怨みし国への、然るべき報いに御座います。秀国様、機は熟しました。
今こそ、國体護持の神勅を叶うる時です。中華も、私達に助勢を約して居ります」

近衛秀国
「長き雌伏の時であつたな…今や多くを語るには及ばず。
羽柴秀為・三好秀俊、皆々その本分を恪守し、皇統再興の大任を全うせよ!」

また、日共を見限った軍需・密輸業者の馬坂家(新潟県)や、星川と同じく中共から叛乱を促された近衛家(関西)なども、武装集団(軍閥)を組織して蜂起、各地域を占領して独立勢力となった。

更に、事態は国際紛争へと拡大する。
アメリカ連邦は、反乱軍を支援して日共政府を壊滅させるべく、
列島への上陸計画(ダウンフォール作戦)を決行。
亡命日本人と彼らを支援する米軍による、九州・関東への武力侵攻が開始された。

吉野菫
「夢にも思わなかった…首里城のアイドルでしかなかった菫が、軍人として戦う日が来るなんて…
でも、やるしかないよね。菫達の助けを待っている、大勢の人民のために」
「もうすぐ開演だね。飯塚徳一君・小倉秀幸君・村中孝作君・江上慶也君・波佐見則貫君、
みんな準備はいい?西海に舞い、九州に福音を歌う時だよ。さあ、行っくよー!」

米国委任統治領の琉球では、亡命政権の吉野菫が米軍と共に九州へ上陸(オリンピック作戦)。

日基建(ひもとたける)
「前方に日共軍戦艦を補足、恐らく『ヤマト』の亡霊だ。落合はラズール隊を率いて直ちに出撃、
空母マーシャル及びカーティスルメイを護衛しつつ、敵艦隊を蹂躙せよ!」

布施朋翠(あきら)
「見て!海の彼方から、星条旗の救世軍が来てくれたよ!東亜光復の時だ!僕ら韓人も、
倭人や米人と協力し、従北共匪を放伐するぞ!天主堂の鐘よ響け、自由の天啓だ!」

米大陸からも「日本合州国大統領」候補の日基建、日系人パイロットの落合航(わたる)らに率いられた「日本国民軍」が関東に進発(コロネット作戦)、まさに第二次日米戦争の勃発である。
米軍上陸に呼応し、
日共支配に反感を抱く国民(外国からの帰化人を含む)による暴動も続発した。
一方、中共は星川や関西の軍閥を支援し、米中両国による日本争奪戦の様相も呈し始めていた。

天災と相次ぐ内憂外患に対し、日共政府は無力というほかなかった。
人民解放軍は、ステルス攻撃機ナイトホークなど最新鋭の武装を有する国民軍に連敗、
関東平野への上陸を許した。
西宮軍も東京に迫り、首都陥落は避けられないと判断した遠野司令官は、
栃木県宇都宮コミューンへの後退を決断。
だがそのためには、隕石の爆心地である外東京コミューン付近を通過しなければならない。
「暴徒に陵辱されるぐらいなら、せめて自分の手で…」と滝山主席を殺害し、更に政敵の樹下委員長を排除した遠野隊長の指揮下、東京から宇都宮へ、決死の長征(撤退戦)が始まった。

遠野衛
「星川なら、自分を信じてくれると思っていたのだが…」

葉山円明
「美野波!どこにいるんだ?」

遠野衛
「円明、こんな所で何をしている?急げ!」

葉山円明
「遠野隊長、友達が見付からないんだ!」

遠野衛
「そんな事をしている場合ではない!お前まで死んでしまうぞ!」

葉山円明
「でも、彼女がいなきゃ僕は…」

遠野衛
「はあ…了解した。友達とやらは自分が救出するから、お前は先に行け」

葉山円明
「そんな、隊長を置いて行くなんて…」

遠野衛
「いいから行け!これは命令だ!」

葉山円明
「りょ…了解」

本来ならば、真っ先に宇都宮へ行かなければならないはずの最高指揮官が、
壊滅必死の部隊と行動を共にし、負傷者の救助にまで身を投ずる現状。
その勇敢な姿が皮肉にも、戦争の勝敗を既に決めていた。

遠野衛
「全軍急げ!少しでも気を抜けば、灼熱に倒れるぞ!敵軍はすぐ背後まで迫っている!」

大間木美野波
「…お母さん…お父さん…どうして…」

遠野衛
「ん?あそこに倒れているのは、まさか大元帥の…」

遠野隊長は、この「大間木美野波」と名付けられた少女の出自について、
実は思い当たる点があった。

遠野衛
「いや、そんな事はどうでもいい!おい、しっかりしろ」

大間木美野波
「…どうして…死んだの…私を…置いて…」

遠野衛
「良かった…まだ脈拍はあるようだな」

大間木美野波
「…私も…連れて逝ってよ…」

遠野衛
「この少女を、安全な場所に搬送する!余力のある者は、手伝ってくれ!」

大間木美野波
「…」

遠野隊長の行動は、人道的には立派と評するほかないが、
最終的に勝利しなければならない軍のリーダーとしては、最悪の行動でもあった。

遠野衛
「はあ…はあ…自分とした事が、任務中に息を疲れさせるとはな…」

人の力は底知れない。
全滅しても不思議ではなかった東京の日共軍は、灼熱地獄のクレーターを辛うじて抜け、
栃木県に到着した。
遠野隊長自らが都市計画に関与した宇都宮コミューンは、
いい加減な計画経済で荒廃した農村と異なり、ある程度は工業化が進んでいた。
その上、今回のような事態に備えて、宇都宮旅団を中心とする大勢の部隊が駐屯しており、
まさに最後の拠点、決戦の地である。

葉山円明
「隊長、無事で良かった…」

遠野衛
「自分がそう簡単に死ぬとでも思ったか?それより、お前自身は大丈夫か?」

葉山円明
「お医者さんに、熱射病だって言われた」

遠野衛
「お前の歳なら、そうならないほうが不思議だな。ともかく、今はそのベッドから動くな」

葉山円明
「でも、僕も戦いたいよ」

遠野衛
「無理をすると、かえって仲間の足を引っ張るぞ。我々に任せろ」

葉山円明
「それで、戦況はどうなの?」

遠野衛
「最悪だ。北からは星川軍、南からは国民軍が迫っている。まさに四面楚歌だ。
まあ正確には、北から聞こえる歌は漢語、南は英語だがな」

葉山円明
「どうして、星川委員長は党を裏切ったの?前に会った時は、凄くいい人だったのに…」

遠野衛
「最早、共和国の命数は尽きたと考えたのだろう」

葉山円明
「そんな…」

遠野衛
「だが、まだ終わってはいない。仮に我々が負けたとしても、再建の道は残されている。
円明、お前が何をすべきか分かるか?」

葉山円明
「僕が、すべき事?」

遠野衛
「ああ。それは傷が癒え次第、安全な場所に逃げ生き残る事だ。お前の友人も、恐らくは無事だ」

葉山円明
「もしかして、美野波を助けてくれたの?」

遠野衛
「自分はこれでも軍人だ。殺すと決めた者は殺し、生かすと決めた者は生かす…それだけの事」

葉山円明
「ありがとう、隊長!」

遠野衛
「彼女も一人で寂しそうだった。早く顔を見せてやれ」

葉山円明
「分かったよ。ところで、主席閣下と樹下同志は?ここにはいないみたいだけど」

遠野衛
「樹下は死んだ。大元帥は…いや、今はまだ早いな。自分はそろそろ、行かなければならない」

葉山円明
「必ず生きて帰ってね、隊長」

遠野衛
「当然だ。お前も達者でな。情況が落ち着き次第、合流しよう」

葉山円明
「はい!」

遠野衛
「皆、よく聴け。これより我らは、起死回生を懸けて最後の攻勢を開始する。
まず初めに、すでに噂として広がっているとは思うが、新たな情報だ」
「米軍の新型爆撃機と思しき黒い機体は、レーダーに映らない技術とやらを採用しているらしい。
警戒せよ」

「レーダーに見付からないなんて、米帝は遠野隊長にすらできない事ができるのか!」と仰天する将校達に、隊長は作戦を述べる。

遠野衛
「宇都宮・前橋の全軍を投入しても劣勢に変わりはない。
まずは自分が地上にて指示を出し敵軍の連携を撹乱する」
「その後、自分がルベウス隊を率いて出撃し、可能な限りの損害を与える」
「通信記録によると、イザナミと連合艦隊、それに東京湾要塞を破った空将は、
『サザンクロス』という名らしい。奴とはここで決着を付ける」
「『エベール』『グラックス』『ブランキ』、そして皆…宜しく頼むぞ」

コールサインを呼ばれたエリート将校はもとより、ここにいる全ての者達の心に、異変が起きた。
彼らの凛とした姿、そこには例え「独裁政権の暴力装置」と罵られようとも折れない、
一国を守護する軍人としての誇りがあった。
そしてそれは、自国民にばかり銃口を向けていた彼らが、
長い間忘れていた精神を取り戻した瞬間でもあった。

こうして、日共軍と国民軍・星川軍の最後の戦い「宇都宮決戦」の戦端が開かれた。
その結果は、改めて言うまでもないだろう。
遠野隊長の天才的軍略に鼓舞された人民解放軍は「楽勝」と考えていた連合軍に予想外の苦戦をさせはしたが、大勢を変えるものではなかった。
そして戦いの終盤、遠野隊長自身がファルクラム戦闘機を率いて出撃し、
サザンクロスこと落合航の「ラズール隊」と交戦。
遠野隊長は機関砲とミサイルの連射を華麗にかいくぐり、ラズール隊を残弾切れ寸前にまで追い詰めたが、落合隊長の艦載機トムキャットが放った最後の一発を被弾し、撃墜された。
そして、彼女が機体から脱出するのを見た者はなかった。
日共軍最大最後の猛将は宇都宮の空に消え、テルミドール(7月)7日、
30年続いた日本人民共和国は滅亡、これが有名な「日本七月革命」である。
同年、ヨーロッパでも東欧革命によって、ロシアを始めとする共産主義政権が次々と崩壊、
東西冷戦は幕を閉じた。
しかし、歴史は「非」ストーリー、物語とは似て異なり、何度終わっても、
すぐにまた新しい物語が始まる。
人類は、小惑星による壊滅的被害から立ち上がり、力強く生きる道を選んだのである。
それは、日本人も同じだった。

革命後の国体を巡って、まず問題になったのが君主制だ。
日本は古くから、天皇を元首に戴く国であるから、伝統に従えば、天皇制度を復活させる事となる。
しかし、大戦後に独裁的な親政を行った元化天皇の事例があり、
天皇制に批判的な意見を持つ者も少なくなかった。
また、そもそも「天皇」という言葉は、倭国の大王が隋の「皇帝」に対抗して用いた称号だと考えられており、英語ではどちらも「エンペラー」である。
よって、中華帝国はもとより、大韓帝国も満洲帝国も存在しない、つまり東アジアに「皇帝」がいない現在、日本の君主があえて「天皇」を称する必要はあるのかという意見も出る。
そこで臨時政府は、君主の称号を「皇帝」と定め、「日本帝国」の建国を宣言した。
初代皇帝には、元化天皇の長女たる雲母日女内親王が践祚し、元号は「光復」と定められた。
あえて女帝を擁立したのは、
男子が優先的に即位する伝統に反感を抱く勢力(共和派)への配慮である。
更に、日共時代に荒廃した国民道徳を回復すべく、天主教を国教に定め、
皇帝が法王を兼ねる「日本国教会」が形成された。
一方で、こうした動きに猛反発したのが、皇弟の西宮堯彦を始め、
日本の伝統を守らんとする保守主義勢力である。
彼らは、西宮親王の天皇擁立を目指した大規模な示威運動を準備し、七月革命で活躍した落合航(旧海軍閥)・泰邦清継(旧会津藩)・太田氏(敷島派)らもこれに与した。
これに激怒した女帝陛下は、親王から皇籍を剥奪し、落合隊長を退役させ、
彼らの多くを「復興庁職員に任命する」という名目で、よりによって隕石クレーターに追放した。
西宮方が妥協した事で内乱こそ避けられたものの、
一件は「天下を巻き込んだ姉弟喧嘩」として注目を浴びた。
しかし、伝統復古を望む声が根強くあり、それが政策にも反映された事は、
県名の改称が如実に物語っている。
例えば埼玉→武蔵、山形→出羽、山梨→甲斐、静岡→駿河といった具合に、
各県に対する前近代の古称を復活させるような改名が行われた。

こうして東京政府の体制が整ったのも束の間、新たな火種が関東平野に撒かれた。
七月革命の英雄、日基建は組閣の大命を受けて、日本帝国太政大臣(首相)に就任した。
日共を討った彼の次なる敵…それはかつての部下、星川初であった。
大宮旅団を従えた星川大尉は、武蔵県(旧埼玉県)と前橋県(旧群馬県)周辺を占領し、
「日本民主共和国総書記」(別格将軍)と称して、東京への侵攻を開始した。
東京軍と星川軍の武力衝突、「第一次埼京戦争」の勃発であり、日本帝国を支援するアメリカ連邦と、民主共和国を支援する中華ソビエト共和国の代理戦争でもあった。
米中両国は、戦禍の拡大を阻止するため「光復停戦協定」を締結し、
日本列島の現状維持を合意した。
この協定により、その後20年間に渡り、日本で大規模な内戦は起こらなかったが、その代わり、
列島に数多の軍閥が割拠し、小規模な紛争が頻発する事となった。

まころ

そして、それから数年後。
相次ぐ戦災で家族を失った一人の孤児が、国教会の信徒、
隠れキリシタンの若き末裔に拾われた。
…そう、それが私である。
この女性、十三宮聖の御言葉と共に、私自身の物語が幕を開けた。

十三宮聖
「この世の終りを乗り越えて、今始まりし新たな神話を、共に生きて参りましょう…」
「そう、始まるのです…現代の神話が」

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