2014年9月7日日曜日

山路兵介

 元出雲地方の軍閥出身である士官。現在は特殊作戦軍「アタナトイ(不死隊)」大尉(陸軍降下猟兵大尉転属)。「今趙雲」と呼ばれた青年。

 軍閥の長が方広院に呪詛されて狂い死に浪人になった。浪人中に浮田郷家に見出され郷家の再三の説得に折れて出仕する。

 敵中から友軍捕虜の女性士官を救出し、その際に敵将軍も拉致して自陣に帰還する等「英雄」染みている。郷家の信頼は厚いが、今なお軍閥の長の死因への不審が拭えずに探りを入れているため、宇喜多近辺の者達は彼を警戒している。

 小倉の戦いでは鎮台側砲兵陣地に浸透し大砲を黙らせるも無念の敗退。高津川の戦いでは中島戦車隊の突撃を支援し自らも対岸へ上陸。銃弾の切れた小銃に銃剣を取り付け投擲、鎮台派遣東京軍将校団参謀長松田憲眞を殺害した他、士官を狙って「アタナトイ」による攻撃を繰り返し敵壊走に貢献した。

 その忠義と武勇は、同じく出雲出身の戦国武将として有名な山中鹿介幸盛を彷彿とさせる。

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