「…この子を、我が子を死なせはしません!何があっても、絶対に…私があなたを、必ず守り抜いて見せます!」
あの年の夏を思い出すたびに、私は推し量る。彼女達の眼には、百年後の世界が映っていたのではないか…と。
昭和20年8月、陸軍等を中心とする大日本皇国政府は、ポツダム宣言の受諾を拒否し、米英との最終決戦に臨んだ。数多の国民が、第三の原爆投下や、連合国軍の上陸に備えて動員されると共に、日本独自の原爆開発や、太平洋諸島での撹乱工作(それは「イザナミ作戦」と呼ばれた)といった、無謀な起死回生さえも計画された。一方、漁夫の利を狙って満洲・朝鮮・樺太・千島への侵入を進めていたソビエト ロシアは、遂に北海道へ上陸し、その北部を占領するのみならず、札幌・箱館方面にまで迫った。
終戦後、我が国は米露に分割占領されていたが、朝鮮戦争によって東アジアが混乱状態に陥ると、北海道から東北地方への拡大を企図していたロシア軍や、中華ソビエト共和国に支援された政治集団が勢力を広げた。「彼ら」は、民主主義の実現や、腐敗政治の撲滅、アメリカ依存からの脱却、そして貧しい労働者・農民の保護といった一見魅力的な公約を掲げる事で、国民から支持を集め、更に旧日本陸軍などの一部をも味方に取り込んで、内戦を制し、政権を掌握するに至った。誇り高き「日本人民共和国」の成立である。
だが…いつの時代でも、権力には人間を変貌させる魔力があり、一度権力を手にした者は、それを自らが独占し、他を排除しようとする傾向がある。彼らもまた、同じ過ちに手を染めてしまった。彼らは、連立政権のほかの党派を解散させて、一党独裁体制を築き、産業国有化や国民の監視・弾圧を強行した。その結果は、最悪だった。人権統計資料などの調査記録によれば、数百万人もの自国民が、恐怖政治の犠牲者になったと考えられている。
そして、共和国の成立から約三十年後の夏、天下は再び、革命の季節を迎えた。小惑星の地球衝突によって、人類文明は存亡の危機に瀕し、世界は大いなる混沌の時代に突入した。日本列島にも多くの隕石が落下する中で、独裁政権の支配に不満を抱いていた人々は、遂に人民共和国への本格的な反乱に立ち上がり、自ら新国家を「建国」する群雄さえ現れた。更に、アメリカ連邦に亡命していた日本人グループが、米軍の支援を受けて九州・関東に上陸し、九州の大半を占領すると共に、横浜・千葉・東京・水戸・宇都宮などを次々と陥落させ、ここに日本人民共和国は滅亡した。
十三宮 巫部 仁 |
東京の新政府は、西欧的なデモクラシー国家「日本帝国」の開闢を宣言し、国民の自由と権利を保障し、新しき時代の元号は「光復」と定められた。小惑星の衝突は、皮肉にも西洋における冷戦の終結を促し、世界各国の人々は、隕石による甚大な被害からの復興に挑戦しながら、来たるべき21世紀の新秩序を模索して行った。我が国においても、様々な事件や出来事があった。その中で、自分自身に関して言えば、僕、十三宮幸が生まれたという事を、一つとして挙げられる。また、光復7年の南播磨地震(坂神淡路大震災)や、同年の秘密結社「邪馬台国」による化学兵器テロ事件も、危機管理に関する重大な戦災として、我々の記憶に新しい。そして、もう一つは…。
十三宮 伊豆守 聖 |
十三宮メーテルリンク勇 |
十三宮仁 |
十三宮仁 |
そして、もう一つは…新しい家族との出逢いである。この日記を書き始めた頃、私はまだ子供だった。けれど、この日記を書き終え、読み返す頃には、私自身も、日本も世界も、ひいては地球・宇宙さえも、過去や現在とは異なっているだろう。それを忘れぬため、この地球世界で、日本列島で何が起き、その中で自分は如何なる運命を選択したのか、この本に記録して行きたいと思う。今この瞬間、本書を読んでいるであろう、未来の私…そう、あなたのために…。
相模県箱根町 湯本温泉
「…ねえねえ、まだ起きないの?あの…疲れていたら、無理に起きなくても良いけど、早く起きてくれないと、頬っぺたスリスリしちゃうよ^^」
十三宮仁 |
ここは…?ああ、思い出した。往路の交通で無意識に疲労が蓄積したらしく、旅館の客室に着くや否や、布団に倒れたまま寝ていたようだ。すぐ隣には、幼馴染みの十三宮仁(とさみや めぐみ)が居て、私の顔を楽しそうに見詰めている。同じ和室には、姉の十三宮聖(とさみや ひじり)が正座で茶菓子と対峙し、洋室の椅子ではもう一人の姉、十三宮勇(とさみや いさみ)が涼んでいる。私は暫く、仁さんの笑顔と無言で見詰め合っていたが、人の心を読める事に定評のある聖姉さんは、私の目覚めもすぐに察したようだ。
「お疲れは取れましたか?夕食まで時間がございますので、お禊ぎに参りたいと思います」
「皆で一緒にお禊ぎする!」
私はもう慣れたが、「国語」あるいは「言霊」とでも言うべき概念に価値を見出す彼女ら…特に聖姉さんは、しばしば回りくどい言葉遣いを決行する。「入浴」を「禊ぎ」に自動変換するのも、その一例である。
「温泉なんて久々ね。着替えの下着はどこに入れたっけ?」
その点で勇姉さんは、良くも悪くも分かり易い言動が平常である。
「ねえねえ、次はこっちに入ろうよ!お湯が湧き出て来て、体に当たるのが気持ち良いんだよ!あ、お外にも行こうね!それから、温室!」
温室?ああ、サウナか。仁さんは(睡魔に憑依されていない時に限り)常に好奇心を働かせており、1回の旅行、一度の温泉だけでも、興味関心の対象を次々と発見しては、眼を輝かせている。
気分次第で庖丁や鉈(なた)、神社では仕込み杖(刀が入っている)を標準装備している恐ろしさを無視するならば、彼女は可憐の顕現であり、純粋に微笑ましい。ところで、サウナの熱源ってどうなっているのだろう?
「あれはラドンの同位体、トロン元素よ。51.5秒ごとにトリウムに壊変するんだけど、その時に放射線が発生する。どうでも良いけど、サウナってフィンランド語らしいわよ」
宗教学を探究し続け、自らも若くして十三宮教会の神官を務める聖姉さんに対して、勇姉さんは政治・軍事及び理系に強い傾向がある。
「夏なのに東京は毎日雨だったけど、相模も曇っているね。天空が真っ白だよ」
湯本温泉は、早川の谷地形に立地している。私達の眼前には、緑豊かな斜面が迫っていて、夏らしく虫の鳴き声が聴こえる。その先は箱根山に連なり、上のほうには霧が掛かり、やがて白く曇った一面の空模様へと至る。思えば、あまり積極的に意識した事がなかったかも知れないが…。
「例え観光といえども、自然の中に身を置くと申しますか、そのような経験から、私達が感じ取るべき事は多いですね」
思った事を先に言われた。また、思考を読み取られたようだ。聖姉さんの近くでは、如何なる悪巧みであれ、それを考える行為は避けたほうが良い。
「何か悪戯でも謀っているのですか?」
この通り、すぐ露見する。
「…あれ?今、お空が急に光らなかった?」
私の隣に居る仁さんが、俄(にわ)かに声を大きくした。
「この時刻、天候…流星群は見えないはずよ。あるいは…」
その後、夕食の刻限。
「選ばれし使徒様方、お待ちしておりました。今夜のお食事は、こちらです。お飲み物は一覧にございますが、お買い得なのはやはり、相模湾の海洋深層水かと…」
この女性は、須崎グラティア優和(すざきGratiaゆうな)。説明すると長くなるが、とりあえず現段階では、姉さん達の盟友であり、「本業」は相模湾教会の司祭である事を述べておく。彼女が用意した色紙に、既に決まった献立が書かれている…のだが、勇姉さんはそれが気に入らないらしい。
「なんなのよ、このメニューは?お椀と称する液状の何か、お造りと称する鮮魚の遺体…日本語って複雑怪奇ね。はあ…気に喰わない。自分が食べる物くらい、自分で決める!私の運命は、私自身で切り開くのよ!」
勇姉さんが中二病から脱却できない間、聖姉さんは献立の料理内容に見入っている。
「そういった比喩表現をも含めて、言の葉なのですよ。言霊には力があるゆえ、婉曲するという技法が意味を持ち得たのかも知れませんね。この料理は…あ、これはお姉ちゃんにも作れそうですね。お二人は、飲み物どれになさいますか?」
ああ、そうだった。飲料を選択しなければ。私は…そうだな、これにしよう。「仁さんは、どれにする?」と言いながら隣を向いたら…。
「…めぐちゃんは…おねんねする…」
相変わらず私の隣に居る仁さんは、まだ若い体をこの世に残したまま、意識だけ夏影の彼方に旅立っていた…仁さんは(睡魔に憑依されている時以外は)礼儀正しい少女である。
「須崎さん、海洋深層水とやらも良いですけど…正直飽きて来たんで、そろそろ何か、新しい商品を開発しませんか?」
「そうですね…いかんせん私は、専門が海洋学なので…あ、勇様は航空工学でしたっけ?それでしたら…シャトルか宇宙エレベーターに積んだ水を回収して『星空焼酎』なんてのも良いかも知れませんね!」
そんな話をしながらも、とりあえず飲食しようと思って、隣の仁さんを起こそうとしたら…。
「これが桔梗ヶ原(ききょうがはら)で、こっちが磐梯…」
私の隣に常駐する仁さんは、いつの間にか起きていたが、食卓に届いた信濃の葡萄ジュースと、会津の清酒を融合し、ワインのような何かを創造していた。案外美味しそうな香りがしない事もないが、毒味見(どくみ)は成人後にして頂きたい。
客室からは、早川の流下が聴こえる。河床に複数の段差が設けられているため、元来の河川よりも騒がしいのだが、この場所においてはさほど不快でもない。
「都(みやこ)に住んでいると、あんまり気付かないけれど、虫さんの鳴き声って、時と共に変わるんだね!同じ町でも、朝と夕方と夜と、別の事を言っているのが聴こえる…」
地獄の果てまで私の隣に居る仁さんが、お茶を飲みながら景観を視聴している。多くの戦災に明け暮れる歳月を過ごして来た私達にとって、こうして心身に余裕を感ずる時間を持つ事は、掛け替えなき機会なのだろう。特に人間は、心の拠り所、あるいは逃げ場と言うか、精神的価値を探し求める存在だと聖姉さんは言っていたが、確かにそうなのかも知れない。
「あら、覚えていてくれたのですね^^」
姉さんの反応に微笑みながら、なおも曇り続ける天空を仁さんと共に見上げると…。
「…あ!また空が光ったよ!厳霊(いかずち)かな?」
今度は私の眼にも、明白に見えた。だが、落雷にしては随分と静謐だ。答えは勇姉さんが導いた。
「あれは伊豆の反射炉よ。いや、今はもう『反射砲』とでも呼ぶべきかもね。伊豆には昔から、鉄鉱石を放射熱で大砲に溶錬する遺跡があるけど、世の中には変な事を思い付く人が居てね、その技術を一体化させたのよ」
「反射炉」と「大砲」を、一体化?それって、まさか…。
「そうよ。反射炉の熱で大砲を造るんじゃなくて、熱自体を大砲にするの。増幅させたエネルギーを、電磁波光線として放出する…まあ、レーザー兵器みたいな物ね。主導しているのは多分、堀越さん達でしょう」
堀越碧(ほりごえ あおい)、称号は国司「駿河守(するがのかみ)」。駿河県令と駿河旅団長を兼任する、静岡の軍閥である。十三宮家の古くからの守護者であり、人民共和国時代には、独裁政権の宗教迫害に抵抗し、幼き姉さん達を守り抜いた。現在は、日本帝国東京政府に忠誠の態度を取り、彼らの信任を得る事で、かつて「静岡県」と呼ばれていた伊豆・駿河・遠江の自治を担っているが、十三宮教会の意向に沿った言動も多く、実態は聖姉さんの傀儡(くぐつ)である…などと説明したら、姉さんに怒られそうな気がしない事もない。
「…怒りませんよ?」
それは良かった。だが、堀越駿河が「反射砲」などと言う新兵器に手を出した理由は?
「軌道上にはまだ、あの小惑星の破片が残っているわ。それが稀に、隕石として地球に落下する事があるの。それの迎撃よ。見た感じ、さっきのも多分そうね。『対小惑星隕石砲』が国連に禁止されたから、その代替よ」
「対小惑星隕石砲」とは、その名の通り、地球に飛来する小惑星や、その破片である隕石を迎え撃つために開発された機構であり、ロケット弾道ミサイル及び電流加速レールガンの技術を集大成したような代物であった。しかし、当時から実用性に疑問が向けられていた上に、水素爆弾などを搭載する事で、極めて非人道的な原子核兵器への軍事転用が可能であるため、国際連盟によって縮小・廃絶の方針が決議されている。なお、往時の日本人民共和国も、対小惑星隕石砲を開発していた国の一つであり、そこにはまた、アメリカ本土を核攻撃するという意図もあったようである。
「…まあそんな感じで、次世代兵器はレーザーみたいな傾向なのよ。それに堀越さんは、ゼロ戦を発明するような親戚の親戚らしいから、反射砲で隕石を撃墜するイデアを国民軍に売り込んで、それを地元に誘致するくらい、不思議じゃないわ。でも、ほかにも目的はあるでしょう…ねえ、聖?」
平和主義者(広義)である聖姉さんは、戦争とか軍事の話に不快感を示す事が多い。当然ながら、そういう方向に話題を誘導したがる勇姉さんに対しては、尚更である。
「勇…私が碧様に『あれ』の裁可を授けたのは、あれが平和利用だと私に約したからです。剣(つるぎ)を抜くとは、一言も伺っておりません!碧様は、私の前で己を偽る事などございませんし、魔の邪気も感じませんよ?」
「それは飽くまで、現段階の話。でも、将来的には?伊豆は聖と須崎さんの、静岡は堀越さんの、事実上の領土でしょ?沼津は微妙だけど、どうせ仁に分家でもさせるんじゃない?尾張の津島長政は少し怪しいけど、まあ今は同盟国ね」
聖姉さんの側近である津島長政(つしま ながまさ)、称号は国司「三河守(みかわのかみ)」。堀越駿河と同じく、十三宮家とは昔からの縁だが、十三宮の威を借り、その力を我欲に悪用せんとしたため、堀越・須崎らと対立し、堀越碧に暗殺され掛けたが、当時の聖姉さんに生命を救われ、以後は十三宮教会に協力的である。現在は、旧体制時代の「愛知県」に当たる尾張・三河を支配する軍閥だが、相変わらず堀越駿河とはあまり仲が良くないらしい。稀代のオカルティストでもあり、某所にて「呪術博物館」を運営し、その手の情報に詳しく、人脈も豊富だと言われる。全身火傷を包帯で覆い、漆黒のベールから片目だけを現し、皇帝に対してさえ敬語を使わぬ「黒魔術師」だが、その割に言動は冷静的確で、私達を助けて下さる一面も有する。
「駿河旅団は、アメリカの州兵みたいな『地方公務員』で、堀越さんの指揮で動かせる。その堀越さんは、聖の傀儡(かいらい)よ。そして、伊豆反射砲とか言う新兵器を掌握した今、ここ箱根は無論、小田原もすぐに陥落させられる。ついでに、大森や浦和にも飛び地があるしね。聖、私達はもう既に、東海道の地政学を左右できる勢力なのよ。あとは東京に入城して…」
「それってつまり、姉様が天下を…」
「いえいえ、お姉ちゃんに権力者なんて向いていませんよ…万一それが可能だとしても、私達が覇道に走るべき理由は?法王様を戴く東京国府は、天主(Deus)の義を体現しておられます。この上、無益な戦乱を引き起こしてはなりません」
「だから、将来の話だって言ってるじゃない。今は良いの。でもいつか、動くべき時が来るかも知れない。例えば…東京がクーデターで『誰か』に乗っ取られたりとか?それにね、聖。十三宮の実力に勘付いているのは、何も私だけじゃないのよ。確か生月島(いきつきしま)?平戸の辺りだったかしら…どっかの武装修道会が、私達と接触する機会を窺っているらしいわよ。敵か味方かの識別を含めて、ね」
「はあ…なぜ修道会が武装しているのですか?ヨハネ騎士団ならば分かりますが…」
「肥前って事は、隠れキリシタンかな?じゃあ、姉様と同じような受難を耐え忍んで来たのかも?」
「そうね。須崎さんなら知っているんじゃない?ま、一寸先は闇だし、色々と想定しておくべきよ。平和を望むならば、戦争に備えるのが歴史の教訓。それに、仁が生まれて母さんが死んだ時、そしてこの子と出逢った時、誓ったでしょう?私達は百年後、千年後の未来を見据えて、必要ならば残酷な運命にも立ち向かうって。聖…あなたの眼に、百年後の日本は、世界は見えているの?」
「あの日の祈りを忘れた事などありません。信じた未来は、必ず守り抜きます。ですが一握の不安もあります。果たして私達は、本当に平和を築く事ができるのか?そして、私達が生きたこの時代を、後世の方々はどう評価なさるのか?その全てを見通す事は…」
せっかくの旅行が、あの反射砲とやらと、更に勇姉さんの邪推で、やや深刻な雰囲気になってしまった…と思った時、最後の審判まで私の隣に居る仁さんが、パンドラの箱に希望を見出したような顔で立ち上がった。そして再び、私を見詰めて微笑んだ。
「大丈夫だよ!だって私達は、ずっと一緒だもん!聖姉様と勇姉様、あなたと私…皆が清き明き心を胸に抱く限り、神様も私達と共に居て下さる!もし間違ったり、壊れてしまった時は、何度でも建て直せば良い…私はそう信じるよ!ね?」
あの年の夏を思い出すたびに、私は推し量る。彼女達の眼には、百年後の世界が映っていたのではないか…と。
東京市大森区 平和島
「こちら、空中警戒管制機クリスタロス(Krystalos)。当該作戦区域内における、トムキャット・ホーネット・ライトニング及び艦載各機の出撃を確認。指揮下の全機に告ぐ、状況を報告せよ」
あれから十年近い歳月が過ぎた。その間、数多の戦乱が勃発し、様々な勢力が台頭し、そして衰亡した。群雄割拠の日本列島が、再び平和を取り戻すのも、恐らくは時間の問題だろう。残る最後の敵は、蝦夷島(北海道)を占領するロシア軍と、彼らに支援された革命政権「箱館コミューン」である。極東ロシア軍は、日露交流のための鉄道敷設という名目で、津軽海峡の青森・箱館間に世界最長級の海底トンネルを建設し、冷戦後も本州侵略の機会を窺っていたのである。更に、国際法・軍縮条約で新築が禁止された、あの対小惑星隕石砲の開発にまで手を染めていた。
落合サザンクロス航 |
落合航 |
対小惑星隕石砲の着弾を阻止するべく、日本各地に地対空ミサイルなどの迎撃システムが緊急配備されている。その中には、二十年近くに及ぶ試行錯誤と、堀越碧の執念によって、遂にレーザー兵器としての実用化を達成した、あの伊豆反射砲も含まれている。南東の羽田飛行場などからは、戦闘機・攻撃機の類が次々と離陸し、蝦夷島での最終決戦に出撃している。勇姉さんは数年前、政府・軍部の実力者に出世した後、政変と内乱の末に帰天した。彼女の平和への遺志を受け継いだ聖姉さんは、今となっては大勢の信徒を抱える教会指導者の一人であり、傷病者の救護や、捕虜への教誨などに奔走している。そして…私の隣にいつも居てくれた仁さんは、もう…。
「これが『第三次大戦』、あるいは『世界最終戦争』などと呼ばれる事になるのでしょうか?しかし、よりによって立花様とアガタ様が敵方に与するとは…未だに信じがたいです」
橘ラインハルト立花(たちばなRinehartりっか)と、中浦アガタ愛美(なかうらAgathaまなみ)。箱館コミューンの日本側協力者とされる彼らだが、かつては十三宮教会と協力した事もある知己である。ましてや橘立花は、私の先輩にして親友の一人でもあった。そんな彼らが名を連ねる箱館コミューンは、私達が所属する「旧世界」に対し、次のように宣戦布告して来た。曰く、諸人民は選択すべき運命を誤ったのであり、その大罪を贖うには、小手先の改革など有害無益であり、日本も世界も、破壊し尽くされた廃墟から創造し直すほかない(のかも知れない)のだと。信じる心を以て、平和の礎石を成さんとする聖姉さんの祈りは、またも裏切られた。人は、過ちを繰り返す…。
「橘立花と中浦アガタは、恐らく誰よりも人間を信じ、世界を慈しみ、万物を愛していた。そうあるべきと生きて来た。だが同時に、愛するに値する理想から遠ざかり、同じ過ちを繰り返す現実への憎しみも、劣らず強かった。希望と絶望、創造と破壊…二つの心が葛藤し、結局は後者のほうが勝ってしまったのだろう」
姉さんの嘆きに、画面を眺めながら反応する富田巌千代(とみた いわちよ)、称号は「寿能城代(じゅのうじょうだい)」、生前戒名は「十三宮顕(とさみや あきら)」。地理学専攻で、十三宮家に帰依して「創氏改名」し、教会の史誌編纂係らしき仕事を担当している。余談だが、これまで挙げた「聖」「勇」「仁」「碧」「顕」のように、十三宮家とその信徒は、雅(みやび)な漢字一文字の名前を好み、それを宗教上の法号(戒名・洗礼名)に用いるなど、教会なのに東アジア的な慣習を伝えている。とは言え例外も少なからず、その一人である須崎グラティア優和が、続いて発言した。
「何度苦悩しようとも、結末は同じです。初めからそれが、中浦の本質だったのです。あの者は元より怒れていました…片割れの八洲(やしま)様も、最後の堤防となり得た宇都宮宗房(うつのみや むねふさ)さえも亡き今、もはや氾濫する事しかできない血液です。司教様…いえ、十三宮聖様!私に案がございます。もう二度と、あのような受難を謡(うた)わせぬために…!」
大概の事では動揺しない須崎司祭が、珍しく震えている。その理由と、彼女が挙げた者達に関しては、話せば長くなるが、いずれ語るべき機会が訪れるであろう。いずれにせよ姉さんは、須崎司祭の思惑を裁可したくない。
「錯乱の芽を摘むために、中浦の家を滅ぼせと?そして血を絶やせと?優和様はそうお考えですか!はあ…優和様は隣人を懐疑し過ぎですよ、昔から」
「聖様は、ヒトという動物を信用し過ぎです。もうお若くもないのに…」
「はい?」
「ごめんなさい」
「…お二方、禅問答などしている場合ではあるまい?其の方(そのほう)の青年が、呆れた眼で見ている」
全く以てその通りだが、言葉遣いが回りくどいのは、富田寿能も他人の事など言えない気がする。
「アガタ様には生きて頂きます。元来、現し世(うつしよ)に生きる価値のない衆生(しゅじょう)など、殺(あや)めて良い生命など、一つもないのです。それは、天主がお決めになられる事です。私は、私は…人間を信じたいのです。いえ、信じなければならないのです!」
「子孫は先祖の宿命から逃れられない」という世界観は、歴史を物語として解釈する際に一定の説得力を持ち得るが、適用を誤れば優生・差別思想に転ずるため、民衆に天賦人権を説法する立場として、安易に肯定する事はできない。しかし、そう考える姉さん自身が、シャーマンであった母に受胎して生まれ、十三宮の神聖な血統を受け継いだ事を根拠として、現在の地位にあり、オカルティストから「能力者」などと分類される人種なのである。その意味で、十三宮聖という人間は、平等主義と優生思想の両極を振幅する側面を持つが、変わらぬ底面を(彼女の好きな)一文字で表すならば、それはきっと「義」なのだろう。
「ええ…少なくとも、結ちゃんは星川の、精士郎(せいしろう)様は八洲の業に終止符を打って下さいました。その代償も少なからず、でしたが…きっとアガタ様も、中浦の…今は祈りましょう」
人は、自らの意志で変われる、運命をも乗り越えられる…姉さんは、その可能性に未来を懸ける覚悟を決めたようだ。
「まあ、百年後の事は、百年後の者達に判断して頂ければ。それより須崎司祭、戦況のほうは?」
「あ、はい。それに関してですが、敵方の計画には、連合軍を蝦夷島に集結させた後、核爆発で一網打尽にする焦土戦術が含まれていると、大本営参謀局は解析しております。その手に乗らぬため、あえて戦力を数段に分散し、第一波の会津軍は既に交戦中、第二波の星川軍がこれに続き、兵站(へいたん)は出羽旅団と清水(しみず)様が担っています。また、津軽十三湖(じゅうさんこ)には、私達の同胞も参陣している模様です」
「十三湊(とさみなと)…私達安東の、始まりの地ですね」
西宮堯彦(皇帝)・吉野菫(首相)・星川結(執権)らを首班とする日本連合政府は、「恐怖には恐怖を、核兵器には核兵器を」という大国の安全保障理論を批判し、此度の作戦を極力、通常兵器で決着させたいと考えている。もっとも、それは我が国の立場に過ぎず、米英などの国連軍は、戦況次第であらゆる選択肢を検討するだろうし、ましてロシア軍には、大量破壊兵器使用への躊躇など皆無に近い。
「列島規模の、壮大な波状攻撃か…航空支援は?」
「サザンクロス中隊及び旧日共軍が出撃致しましたが、日光戦場ヶ原の上空にて、ラインハルトの奇襲を受け、足留めを喰らっているとか…橘君は、箱館に居るはずなのですが…」
「立花様は異形(いぎょう)の存在、それくらいはするでしょう。しかも戦場ヶ原は、霊峰神話の舞台です。立花様ならば、時間稼ぎのためにも、結界の一つや二つなど簡単に展開しますよ…」
我が友ながら、橘立花は本当に面倒な奴だ。外見は人間だが、その実は不死身に近い生命体であり、仮に逮捕できたとしても、人並みの刑務所になど収容できまい。異世界?にならば封印できるかも知れないが、確証はない。あいつを更生してやれる「理不尽(Unreasonable)な教育者」が居れば、それが最善なのだが…。
「先陣が各個撃破されない時間差範囲で、後陣を合流させる必要がございますが、空軍の苦戦により、東海から第三波の編成を早めます。堀越駿河は引き続き伊豆SDIの配属ですので、つきましては津島三河に急北上して頂きます。また、大坂の近衛(このえ)家、神戸の宇喜多(うきた)様ら畿内軍残党は態度が不明瞭でしたが、山路香奈様によれば先刻応召し、彼らと九州鎮台が第四波以降を形成します。西海の潮流も、随分と変わったようですね…もう、あの日の瀬戸内海には…」
山路香奈(やまじ かな)は、神戸における須崎配下の修道女(Sister)だが、詳細な経歴は不明である。少なくとも、家族を皆殺しにされてテロリストに走り、結果として瀬戸内を泥沼戦争に沈めた事件の張本人…などと云う話では(きっと)ないはずだ。それはともかく、須崎司祭の悲哀に関しては、一方の責任者だった姉さんも理解している。あの海をめぐって見て来た、数多の無惨な死も…。
「ええ、決して忘れてはなりません…ですが、今は前に進まなくては…あの忌まわしき対小惑星隕石砲とやらを、一刻も早く!」
「聖様は御存知ですか?対小惑星隕石砲に秘められた、もう一つの目的を…」
「地球文明を守護するというのは表向き。本当は最初から、大陸間の戦争を想定した軍事兵器だった、などと伺っておりますが…」
「実は、その先がございます。軌道上に残る小惑星の破片を砲撃すれば、隕石を人為的に落下させる事ができます。1位だか2位だか知りませんが、スーパーコンピューターとやらで世界最速の演算を行えば、落下地点の指定など容易です。そして…レールガンの射程を延長すれば、理論上は月や火星なども狙えます。もし将来、地球の支配者に従わぬ方々が、それらの天体に脱出した場合、これを使って…」
須崎司祭の話を聴くに従って、姉さんの表情が暗転する。しかも、今までの落胆とは明らかに様子が異なる。
「…!なんでしょうか、この幻影は…?」
姉さんの脳裏に、絶望的なビジョンが突如浮かんだ。全世界へと触手を伸ばす、恐怖による支配。憎悪の連鎖、次々と滅亡する国家。決して開けてはならない、異世界への扉。復活の邪神、「神の右手と、悪魔の左手」を持つ少女。そして…再び地球に迫り来る、巨大な小惑星の陰影。しかも、この幻覚を覚えたのは、実は今が初めてではない。
「…能登守様?」
「能登百花ですか?」
思い起こすは能登彼岸(のと ひがん)、称号は「百花繚乱」など。数年前、当時の橘立花や勇姉さんと共に特務機関に居た人物で、聖姉さんとも親しかった。生け花を愛で、華道を極めた芸術家であり、聖姉さんに心を読まれる隙を一切与えぬほど、常に静寂で波立たない精神の持ち主であった。姉さんとは、現代社会の重大課題である「能力者と一般市民の共存」に関して議論する事が多く、親交のあった数年間、十三宮聖は能登百花から多大な智慧を学んだ。「言ノ葉学園」という未詳地域の調査に向かって帰還せず、後に死亡情報が伝えられたが、今なお姉さんにとって、強く尊敬する先達の一人である。
ただ…一つだけ、気になる事があった。能登百花と関わるようになってから、聖姉さんは時折、世界が破滅するかの如き幻影に襲われたのである。もしそれが能登自身の意志であるならば、それは彼女の心中にこそ見出せるはずだが、そのようには感じられなかった。しかし、能登百花の失踪とほぼ同時に、あのビジョンも見えなくなった点には、何らかの因果を疑った。それが今、再び見えるという事は…。
「能登守様には、無意識でも、天地の行く末を暗示する何かがあったのかも知れません。惜しい方を失ったものですね…いずれにせよ、そのような恐るべき兵器は、技術自体を葬る必要があります!後代の方々が、誤って悪用しないために」
「技術を封印、ですか…そのような事ができれば、誰も苦労しないのですが…」
「前から気になっておりましたが、優和様はどうして、そこまで軍学にお詳しいのですか?対小惑星隕石砲など、機密も多いかと思いますが…」
今更ながら須崎司祭は、教会内でも武断派の津島三河や、是々非々の堀越駿河とは異なり、元来は聖姉さんよりも反戦的で、軍事研究を忌避して来たはずの平和主義者であった。
「力が支配する世界の構造を変えるためには、例え嫌いでもその『力』について知識を得る必要がございます。それに…私はかつて、亡き父と共に『イザナミ計画』を…」
須崎司祭がまた虚しそうな表情を見せたのも束の間、警報が鳴り響いた。富田寿能が、大急ぎで事態を確認する。
「破壊措置命令だ!先刻、対小惑星隕石砲の発射を確認したとの事!大森区も迎撃態勢を取れとお達しか。区民の避難は完了しつつあるから、残るは…皆、訓練通りに頼みます!」
「遂に来ましたか…優和様、急ぎましょう!」
「はい!」
恐れていた事態が、遂に訪れた。だが、既に最低限の備えは整えてある。迎撃ミサイルは全国に展開中、地域住民も避難中、最後まで残っているのは私達だけだ!が、この期に及んで富田寿能が、慌ただしく何かを用意している。
「そうだ、最期に渡すべき物が…クラウドには転送したし、メディアへの保存も多分大丈夫。紙媒体は、これで良いか…青年、これを受け取って!」
そう言って私に、何か文書らしき物を差し出した。これは、一体…?
「これはまあ、アーカイブみたいな物だ。あの小惑星から、今回の戦争に至るまで、国内の出来事を中心に、十三宮教会が所蔵する資料を集めてある。元来は、禍津日原(まがつひはら)の大牧(おおまき)教諭が日記代わりに書き残していたが、その彼女も亡くなり、今は私達が編纂していた。あまり自信はないが、もしかしたら将来、かつて日本や世界に何があったのかを伝える、貴重な文献の一つになる可能性もゼロではない。もし、あなた方が生き残ったら、その後も続くであろう歴史を、この最後の頁(ページ)に次ぐ物語を、あなた方の手で書き加え、本書を完成させて頂きたい。そして、この記録を未来まで守り抜いて欲しい」
そういう重要な頼み事は、対小惑星隕石砲が飛んで来る前に言えよと思っている間に、姉さんが返事をした。
「…分かりました。でも顕ちゃん、まだ何か言い残した事がありそうですね?」
「宇宙の歴史は確か137億年、地球は46億年。それらに比べれば、人類の数百万年、文明の六千年、ましてや私達が生きた現代など、地層の薄い表面でしかない。されど、この薄い一頁に、数多の生命と、彼らの想いが込められている。その積み重ねが、新しい歴史を築く…そして、この物語には主役も脇役も居ない。誰もが主人公になり得る。無論、その候補にはあなた方も含まれている。そもそも宇宙空間では、全ての観測者が世界の中心なのだから。ただ、重大な不足が一つあって…まだ、タイトルが決まっていない。あなた方に委ねたい。本書に、良い題名を付けて下さい!幸運を祈る」
「…はい、確かに受け取りました!」
そして私達は、脱出を開始した。
内川の誓い
「聖様、内川まで到達致しましたよ。あともう少しですね」
津軽海峡の決戦では、第一陣の会津軍が蝦夷島に上陸し、これに第二陣の星川軍が続き、更に第三陣として、事実上の「十三宮軍」である津島三河も合流しつつあるはずだ。一方、私と姉さんは、やたら頼りになる須崎司祭に導かれ、見覚えのある場所に辿り着いた。ここは確か、あの邪馬台国事件の日に、姉さん達と出逢った場所である。あの頃が良い時代だったとは思わないが、皆が生きていた。後に権力の闇に呑み込まれた勇姉さんも、まだ学生だった。そして、私の隣には、今は亡き仁さんも…。
「お帰り!あれ、『ただいま』って言うのが正しいかな?」
え…?
「め…仁!」
「仁様?御無事だったのですね!」
仁さん…いや、そんなはずはない!彼女は行方不明になった後、確かに「死亡」と発表された。死んだ仁さんに逢えるという事は、私達も死んだのか?対小惑星隕石砲が着弾して、その炸裂で私は…。
「何を戸惑っている?早く仁さんを保護して、脱出せよ!」
富田寿能の怒声で、すぐ現実に引き戻された。平和島に残った後も、区内の監視カメラと通信網を駆使し、御丁寧に見守っている上に、口出しまでしてくれるようだ。
「心配掛けちゃって、ごめんね…でも、約束は忘れないよ。私達はずっと一緒だもん!あなたの隣には、いつも私が…」
仁さん、ありがとう…!言葉を言い終わる頃には、互いを強く抱き締め合っていた。この上は、皆で生き残る以外に道はない!
「…はい!皆で生還しましょう、最後まで!」
「では聖様、例のを『実験』しますか?」
「姉様・ガラシヤ様、どうするの?」
一行に帰参した仁さんの問いに、須崎司祭が先に答えた。
「あれの中身が放射線であれ神経ガスであれ、こういう情況では、年少の方を優先的に保護するのが原則です。加えて、例え迎撃に成功しても、高々度での核爆発に伴う電磁パルスが発生し、社会資本の破壊と、甚大な混乱が予想されます。何らかのシェルターが必要ですね」
「また、顕ちゃんに編んで貰った資料を、確実に保存せねばなりません。そこで、前にもお話し致しましたが、お二人は一時的に、宝石の中に退避して頂こうと思います。その際、お持ちの『無題文書』も御一緒に!」
「つまり宝石の中にある世界を『防空壕』にするの?でも、そんな力を使いこなせる人は…」
「はい…亜紀ちゃんも明野(あけの)様も『星』になり、もう現世にはおられません…ですがあの後、お姉ちゃんも優和様から智慧を授かり修行を積み、ある程度は使えるようになりました。私と優和様が互いの力を共鳴させれば、扉を開く辺りまでは可能かと。やって見ないと分からない部分も残りますが…」
彼女らが話しているのは、地球のマグマなどから永い歳月で形成された鉱物が、その歴史を記憶する事で、内部に独自の「世界」を構築するという超自然観に基づく魔術である。パワーストーンの中でも、先天的な素質に左右される傾向が強く、須崎司祭はかなり前から防御手段として習得していたが、聖姉さんの能力は平均程度と言われる。過去、この魔術を極めようとした者が何人か居たが、多くは道半ばで破滅したり、不可思議な最期を迎えたりしている。
「分かった!やって見ようよ!あなたも、良いでしょう?」
この機に及んで魔術頼みという発想が適切なのかは疑問が残るが、それが最善の方法だと皆が信ずるならば、今更批判するのも不毛であろう。
「あ!その前に…例の無題文書を、お貸し頂けませんか?」
そう言われ、富田寿能の資料集を姉さんに手渡した。
「かの小惑星は『禍津日神(まがつひのかみ)』、またの名を『石の魔女』などと謡われました。そして、その魔女を討たんとして造られたバベルの塔が今、対小惑星隕石砲とか言う名前で、私達人間に裁きを下さんとしています。恐らく、人の世から罪や穢れはなくならないでしょう…ですが、過去を現在から未来へと継承する中で、それらを悔い改め、禊ぎ祓う事はできます!この無題文書が、贖いの水となり得る時を願って、私が題名を名付けようと思います。皆様…石の魔女が始めた神話に、終止符を打つ覚悟は宜しいですか?」
「もちろんだよ!」
「言うまでもなく」
仁さんと須崎司祭、そして私が頷く。
「かつて円卓の騎士は、物語の作者である同時に、登場人物でもあり、また聴衆ともなったそうです。その意味で、これは地球世界と極東の神国を舞台とした、現代における騎士道物語なのかも知れません。それゆえ、本書の名前は…」
そして姉さんは、表紙の空欄に筆を乗せた。
『Planet Blue Ich-Roman』
「イッヒロマン」は「私小説」「一人称小説」のゲルマン語で、姉さんは本書に「私達の物語」という意味を込めた。あとは、これを持って…。
「対小惑星隕石砲が東京方面に接近!地上に残っている区民は、大森大隊の誘導に従い、一刻も早く退避して下さい!」
「聖様、急ぎましょう!今の私達には、単独でのフィールド展開に限界がありますので、少し強引な方法ですが、複数のパワーストーンを共振させ、ピラミッドを築きます。私は左に、海底のアクアマリンを配置します。全ての慟哭を、この藍玉に込めて…!」
「あ、そうやるんですか…それでは、私は司教の紫水晶を右に捧げて…何か強そうな事を申せば良いのですか?あ…浅き夢見じ、アメジスト!」
「…あ、駄目ですね」
「あれ、どうしちゃったの?」
私とその隣の仁さんが困惑するが、すぐに分かった。
「私と聖様が点を二つ置いても、線にしかなりません。面を開くには、もう一つの点で3角形を創らなくては…」
当然の真理に今更気付き、落胆する一同。打開するには、能力者があと一人必要なのだが、思い当たる人物は、もうこの世に…。
「伝令!津軽海峡にて星川軍苦戦中、玉砕の恐れあり!東海鎮台は津島三河の進軍速度を上げると共に、可及的速やかに増派願いたいとの事!以上の件、大森から転送致します!」
富田寿能はいつの間にか平和島司令官を気取っているが、指揮命令系統が崩壊するほど苦戦しているのか?しかし、あの星川軍が全滅寸前とは…ん?星川?
「ああ!そうです、その手がありました!」
姉さんはそう言うと共に、お気に入りのタロットカードを取り出した。『クリスタルタロット』と書かれているが、トランプ占いをしている場合だろうか?そんな疑問をよそに、姉さんは手馴れたカードをシャッフルし、三つの束にカットする。
「仁、この中から一枚選んで下さい!」
「あ、はい!えっと…これにする!」
「十三番『死』の逆位置、さすが仁ですね!では、あなたが二枚目を!」
そう言われ、私もカードを一枚引く。それを裏返し、描かれていたのは…。
「素晴らしいです!十七番『星』、これならできます!二人とも、そのカードを十字に重ねて下さい!」
良く分からないが、望ましい結果らしい。「星」はともかく、「死」って良いカードなのか?とりあえず指示通り、私と仁さん、互いのカードを重ねる。すると姉さんは、先程の紫水晶とは別に、もう一つの鉱物…どこか見覚えのある薔薇水晶を取り出した。そして…。
「南無や…至りし者の御霊(ごりょう)よ、天の叡智のもとに蘇り給え!せいやーっ!」
十字展開したカードに薔薇水晶が触れた刹那、火花放電の如く生じた光が輝き、間もなく柱を描いた。やがて光の中から、人影らしき形が…。
「…ん?あら、ここは…?」
聞き覚えのある声…いや、まさか…?
「あ…あっちゃん!」
私と仁さんが、一斉に目を丸くした。現れたのは星河亜紀(ほしかわ あき)、またの名を「青薔薇」と俗称された。今は亡き星川家総帥の、分家の姪に当たる。また、先ほど姉さんと須崎司祭が実行しようとして失敗した魔術の真理を、誰よりも知り尽くした者(の一人)である。そして…数年前の不幸な戦争に際し、敵の大軍に包囲された母校、渋谷七宝院学園に籠城し、将軍を戦死させるなど敵方に一矢を報いた後、自身も星夜へと消えた、紛う事なき故人である。
「えーっと…私は確か、トキと愛美(あゆみ)と夢有(むう)を先に逃がして、湊(みなと)と椿(つばき)と私は渋谷に残って、結のもとへと向かう政府軍を足留めするために、最期の手段を…」
「亜紀ちゃん!永眠中の所を強引に召喚してしまい、申し訳ございません…ですが、お力を貸して頂きたい事が…」
「…ああ、結の家出先の…あの怪しい教会の皆さん?聖さんに、『グラなんとか』さん。あなたは…『ひとみ』よね?」
仁さんが、庖丁を突き立てた…。
「めぐちゃんだよ!め・ぐ・み!」
「あら、そう…隣のあなたは、誰…かしら?」
誠に遺憾である。
「亜紀ちゃん、お願いしたい事があるのですが…」
「入信の勧誘ですか?私、神話には多少関心もありますが、形骸化した在来の教会には…」
「信じて下さらなくても構いませんので、とりあえずお聴き下さい。まず、あなた様はもうお亡くなりになっています。次に、かつてあなた方が『メモリア』などと呼んだ魔術は、まずカール(Karl)様があなた様に討たれ、次いで明野様も蒸発し、最期にはあなた様自身がああなった結果、今や禁忌と化し、生き残っているのは、この唯一神グラティアただ一人と…」
弁論術に定評のある須崎司祭が(論理を飛躍させながら)懸命に説得を試みている。青薔薇は、馬鹿馬鹿しいと言わんばかりの態度で聴いているが、少なくとも私達を「味方」だと認識してくれたようだ。
「…つまり、たった1回のメモリア展開のために、私を叩き起こして、ここまで引き摺り出してくれたわけ?そもそも、3人なんて必要ないわ。私一人で充分よ…でもまあ、試して見ましょうか?聖さんと須崎さんが底辺を支えてくれれば、一人よりは長持ちするかも知れないし」
「…来た!迎撃開始の電報を受信!間もなく、伊豆反射砲がレーザーを発射する!閃光に注意して下さい!繰り返す…」
「さあ、急ぎましょう!優和様・亜紀ちゃん、皆の力を一つに!」
「はい!では改めて第一、悪魔の左手!」
須崎司祭が、左下にアクアマリンを。
「えっと…じゃあ私は第二、神の右手!」
姉さんは、右下にアメジストを。あとは、青薔薇が頂点に第三の宝石を…。
「第七の部屋!」
「えー!あっちゃん、数字幾つか飛ばしちゃったよ…」
「死ぬ前に一度やって見たかったのよこれ、ピラミッド!」
この情況でも遊ぶのは彼女らしいが、しかし、薔薇水晶の頂点を遂に得た三角形は、点から線へ、線から面へと次元を昇華させた。やがてその面は現世から遊離し始め、局所的な擬似ブラックホールの如き様相を呈した。
「…開けましたね!優和様、それに亜紀ちゃん!ありがとうございます!そして、亜紀ちゃんを呼べたのは、あなた方のお蔭ですよ^^」
「はーい!」
しかし姉さん、タロットカードから一体どういう因果で、星河亜紀の幽霊を呼び出したの?
「簡単な事ですよ。『死』の逆位置…つまり死とは逆の事象を、『星』に対して奏上申し上げた次第です。なお、『死』のカードには『扉を開く』という意味がございます。また、星座や惑星などの『星』は、その子弟である守護石と密接に関わると、太古より信じられて参りました。私達が認識する宇宙の中で、これらに引き寄せられるお方と言えば…」
「私か、七星(ななせ)くらいしか居ないわね…まんまと釣られたわ。さあ二人とも、時間切れになる前に、さっさと入りなさい。私も早く還りたいんだから…」
「水底にて天主の恩寵を賜り、早数十年…この上は私、須崎グラティア優和、しぶとく見届けさせて頂きましょう!全てが終焉した後、聖杯を手にする騎士はどなたなのかをね…」
上空には対小惑星隕石砲と、それに対する迎撃ミサイル、ついでに緊急発進した戦闘機、更にはレーザー光線までもが飛び交っているらしいが、もはや自分の眼中には入らない。宝石の中に構築されたもう一つの世界において、私自身と、ついでにこの『プラネットブルー』とか言う偉そうな資料を保護しなければならない。それが短期的な「避難」で済むか、長期的な「封印」と化すのかは分からないし、鉱物の「内部」も未知数だ。ただ、地球の歴史を身に刻んだ宝石の中に、「私達の物語」と銘打ったばかりの文書を持参するのだから、それは必然的に、この世界における一切の存在、その記憶の欠片を辿る旅になるであろう。その中には、自分自身の姿もあるかも知れない。
さあ、突入だ…と前に進み始めた時、片腕を抑えられた。振り向いた、後ろの正面には…。
十三宮仁 |
仁さん…あなたの瞳には、今日という時も見えていたの?
「どうなんだろう?その答えはきっと、この先にある旅で、分かるんじゃないかな?さあ、一緒に行こうよ!そうだ、昔みたいに腕を組んでもいーい?だって…大好きだから^^」
私は深く頷き、二人で共に歩み始めた。開かれた「門」へと近付くに連れて、視界が光で満たされて行く。支えて来てくれた皆と共に、友との約束を、信じた未来を、忘れ去られつつある全ての大切な記憶を、守り続ける。私の前には、いつも聖姉さんが居てくれた。彼女の胸には、勇姉さんの想いも。そして、私の隣には…。
『キミの声、聴かせて』
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