2015年9月14日月曜日

赤山御影

 日本人民解放軍関東師団、大宮旅団長。大宮旅団における、数少ない日共忠誠派の将官。

 日本人民共和国への忠誠を貫き、星川初による大宮旅団の乗っ取り工作を阻止しようとしたが、部下達が次々と星川派に取り込まれて外堀を埋められ、日共最後の年となった未来30年(光復元年)、遂に謀殺されてしまう。その際、御影の家族らも惨殺されたが、幼子の赤山国昌だけは辛うじて助命された。

 日共崩壊後の埼玉に樹立された「日本民主共和国」は、星川初こそが大宮旅団の指導者であるという歴史認識を公式見解に定めたので、御影の存在は抹消されていたが、光復23年(聖徳元年)に初が戦死すると名誉回復された。新たに公開された史料によれば、御影と初は意外にもプライベートでは親しく、愛人関係だったとも云う。生き延びた国昌は、初の跡を継いだ星川結浦和連隊派閥)に仕えた。

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